登山ガイド

私が今まで山を登ることができたのは登山ガ
イドのおかげである。私の経験がまだ浅い上
に、登るのは常に初めての山。そのような未
知の世界は、登山ガイドのサポートなしで
は、安全に登り、降りることなどできない。
だから、いつも登山が終わった時には登山ガ
イドへの「感謝の気持ち」でいっぱいにな
る。そして、「一緒に山を冒険した」という
特別なご縁を感じ、一生忘れない特別な人と
なる。

登山ガイドは正にプロフェッショナルであ
り、私は彼らを本当に尊敬している。なぜな
ら、登山ガイドの最大の仕事はチームを「何
が何でも頂上へ登頂させること」ではなく
「安全に下山させること」だからだ。

やはり登山者の気持ちで強いのは「山の頂
上」に辿りつくことだ。人それぞれ山の登り
方はあるが、誰もが「山の頂上に辿り着くこ
と」を目標にし、楽しみにしている。そんな
世界中の登山者が集まる山で登山ガイドが一
身に背負う期待の重圧というのは、今の私に
は想像しただけで正直寒気がする。

私がアコンカグアに登った時のパーティーの
メンバーは全員アルゼンチン以外の国から訪
れた外国人だった。簡単に再挑戦ができる山
ではなく、各人とも一世一代の挑戦として
「頂上を目指し」に集まっている。そんな期
待を背負ってガイドは登らなければならな
い。チームメンバーの性格や能力を把握し、
人間関係、健康管理、道具管理のトラブルな
ど様々な問題にも対処しながら、チームを
「安全に頂上まで導く」ために常に全体に目
を配りながら監督兼プレイヤーの司令塔とし
てチームを動かす。それが登山ガイドだ。自
分が登るだけで精一杯な私にとっては、その
姿は敬服させられる。

そして、持つ力を全て発揮したからと言って
必ず登ることができないのが登山である。人
間の力ではどうしようもできない自然を相手
にしなければならないからだ。最善の手を打
ち尽くしても結果を出せない時もある。時に
は安全面での失敗もある。頂上に登れる時も
あれば登れない時もあり、自然の力で左右さ
れる場合もある。それが登山の醍醐味でもあ
り、それを見極めるのが「全員の安全」を預
かる登山ガイドの最も大切なミッションでも
ある。

しかし、どんなに自分自身の安全のためだと
わかっていても、それぞれ相当な覚悟で挑戦
した登山者は、結果がでなければ悔しい思い
をする。そのとき、登山ガイドは、チーム全
員分の悔しさを引き受けなければならない。
その悔しさをもってしても、「この人と一緒
に登ってダメだったら仕方ない」と思わせら
れるかどうかが彼らの真の仕事の成果なのか
もしれない。

登山ガイドは熱い「山の男」であり、彼ら自
身も実は誰よりも頂上を目指したいという想
いは強い。それは登山ガイドとしてのプライ
ドでもあり、山への情熱でもあり、登頂を断
念することをもっとも悔しがっているのは、
実はメンバーの誰でもなく、登山ガイド自身
なのだと思う。しかしそれでも、メンバーの
期待と熱意、メンバーの安全、この2つを天
秤にかけることなく、厳然として安全のため
の判断をして貫く。この姿が私が最も「敵わ
ない」と思う姿なのである。

登山ガイドの背中から学ばされることは多
い。今後の新しい出会いを楽しみ、より吸
収して、自分の糧にしていきたいと思う。

平成の二刀流

先日、ふらーっと本屋さんで立ち読みしてい
たら、漫画の「メジャー」が目に入り、最終
刊を手にとりページをめくると主人公の茂野
吾郎がワールドシリーズ(メジャーリーグの
優勝決定戦)で優勝を決める最終回を投げて
いた。

メジュー

僕がこの漫画を読んでいたのはかれこれ15年
ぐらいの話。その頃はまだ茂野吾郎は高
生だったのに、いつの間にかジャーリーガ
ーになり世界一になっていた
ーーー!(笑)

この茂野吾郎の凄いところは、元々右投げの
ピッチャーだったのに、右肩を壊しても野球
を続けて、左投げに変えてメジャーまでいっ
たこと。(さすが漫画の世界)

さらに、左肩まで壊してしまい投げることが
できなくなったのに、今度は打者として日本
のプロ野球に戻ってくるという怪物ぶり。(
あくまで漫画の世界)

当初はピッチャーとバッターの二刀流でメジ
ャーに挑戦するというアイディアだったらし
いのだが、あまりに現実味がないため、二刀
流は却下になったらしい。(漫画の世界なの
に)笑

ところがどっこい!

現実の世界に二刀流でメジャーにいこうとし
ている選手が現れてしまった。(笑)

それが、日本ハムファイターズの大谷翔平選
手!

投げてはプロ野球記録の163キロ、

7

打っても松井級の150メートル飛ばす、

打2

漫画の世界を超えちゃった選手。(笑)

ピッチャーで10勝、バッターで10本のホ
ームラン、という2014年の記録はベーブ
ルース以来の96年ぶり。(笑)しかも、高
卒2年目の20歳でやっちゃうという天才。

2015年のシーズンでは、ピッチャーで最
多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを
獲得して名実ともに日本一のピッチャーに。

なので、ピッチャーとしての実績がもう日本
一だから、バッターとして求められるハード
ルがさらにあがちゃってる状態が今なのだ。

そんな天才をメジャーが放っておくはずがな
く、早くて2年後にはメジャーに行くという
噂も、、、

実は周囲からは「メジャーに行くならピッチ
ャーに専念したほうがいい」という声が多く
なってきているのが現状。ダルビッシュ投手
も「専念推奨派」らしい。しかし、そのよう
な声をものともせずに、今年も二刀流に挑戦
するのが凄い!

しかし実は、日本人メジャーの道を作ったパ
イオニアである野茂英雄さんは「二刀流」で
メジャーに挑戦を肯定しているそう。プロの
間でも意見が別れる大谷選手の今後、一体ど
うなっていくのかと、正直わくわくしている。

入団当初は「バッターの方がポテンシャルが
高い」という声もあり、まだまだバッターと
しての可能性もわからない。

恐らく、「ピッチャーかバッターか二刀流か
迷ってメジャーに行く」という選手は二度と
現れないはず。(恐らく、恐らく)

それで、大谷選手がどのような育てられ方を
したのか、少し大谷家の教育法を調べてみる
ことに。

まとめると、「大谷家には子育てのモットー
や、家訓などはなく、プロ野球選手にしよう
と指導したこともなし」とのこと。(参考資
料は現代ビジネスから)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48040

あくまで主観だが、誰がどう真似しても大谷
翔平にはなれないと思う。「160キロを投
げる」というのはボルトが9秒台で走るのと
同じ。努力だけではたどり着けない世界なの
だ。

ただ、生まれ持っての才能が前提だとして
も、それを花咲かせたのは大谷家の教育法だ
ろう。それはきっと「過剰な期待をせずに見
守る」こと。何がよいかそうでないかは人そ
れぞれだが、少なくとも大谷選手にはこの教
育方針が合っていたのだろう。

ちなみに、僕の大好きな棋士の羽生さんも、
将棋に関する親からの期待は全くなかったら
しい。

プロ野球ファンとして、リアルタイムで大谷
選手の今後の決断と活躍をみれるのは本当に
楽しみなので、怪我だけは気をつけて気をつ
けて気をつけて。

個人的には「二刀流」でメジャーにいってほ
しいなーと思いつつも、巨人にこないかなー
、という期待も持っているのである。(笑)

時間は有限

昨年、三大陸最高峰の山にチャレンジして学
んだことの一つが「時間は有限」であるとい

うこと。当初は体力を向上させる目的で、ト
レイルランニングとウルトラマラソン、トラ
イアスロンの3つの競技を、登山と並行させ
る予定でいた。山も、競技も、最高峰レベル
を目指して真剣にやってみようと思っていた
のだ。実際に半年間やってみて気が付いたの
が、「最高峰を目指すのならどれも片手間で
はできない」ということ。それは体力的にも
資金的にも、そして時間的にも、である。だ
から、「選択と集中」が必要なのだ。今集中
すべきなのは登山である。

そして、私は、ほぼ全ての時間を登山に繋が
るように使った。というよりも、登山に関係
のない時間が徐々になくなっていった。それ
は、生産性を上げるために無駄をなくすとい
うことではない。一見無駄に思えるかもしれ
ないが、家族や友人と過ごす穏やかな時間や
面白い時間、楽しい時間は、「登山のための
時間」として大切なのだ。こういった時間が
あるからこそ、より生産性の高い時間がつく
れると私は思っている。

工業デザイナーの奥山清行さんが先月パリで
開催した有田焼のイベントに北野武さん、隈
研吾さん、佐藤可士和さんという超豪華メン
バーが参加されていた。今をときめく超多忙
な方々だが、その中でも時間をつくり、楽し
みながら作品を創られたらしい。まさに、こ
のような時間が大切なのだと私は思う。中田
英寿さんの「大人とは真剣に無駄ができるこ
こ」という言葉の意味が響く。時間は有限だ
からこそ、何が大事かを見極め、有意義に使
いたいと思う。

私が今、登山に夢中になっているのも、「時
間は有限」だからである。人間は歳をとるご
とに体が老いていく生き物だ。20歳前後を
ピークに身体能力の低下が始まり、それをト
レーニングとメンタルで補っても心身ともに
最高の状態は30歳前後。現に30歳前後で
キャリアハイとなるスポーツは多い。つま
り、
私が全力でスポーツができる最後の時間
が今
なのである。10年後20年後にスポー
ツを
したいと思っても最高の状態にはなり得
ない。

私にはスポーツで特別な実績はない。しか
し、
幼少期からスポーツを楽しみ、スポーツ
を通
じて人格形成もされてきた。スポーツに
育て
てもらったと言っても過言ではない。だ
から、
心身共に最高な状態でスポーツができ
なくな
るのはとても寂しい。「いつか最高の
状態で
はなくなる」。その危機感を感じなが
ら、「
スポーツをやるだけやった」と言える
ように
登山を楽しみたいと思う。「時間の流
れ」に
負けないように。

アコンカグア(南米最高峰)

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5ヶ月前のエルブールスから
あっという間にアコンカグアを迎えた。
この一年で三大陸最高峰の山にチャレンジしたのは
想像以上にハードな一年間だった。
でも、10年後20年後に振り返ってみた時に
充実した一年間だったと思えるような気がする。
その為にも、
この一年の締めとなる今回のアコンカグアはどうしても登頂したかった。 (さらに…)

富士山

(富士山)

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僕は今まで日本人でありながら、富士山に登ったことがなかった。(笑)
なので、ここ1ヶ月程、登山、トレラン、駅伝と様々な視点から
富士山を楽しんできました。

(登山)

去年台風で中止となった、
山田さんガイドのHIS富士山登頂エコチャレンジツアーに参加した。
頂上に登るだけなら自分一人でも可能だが、
また同じツアーで去年のリベンジをしたいと思い今年も参加した。

ツアーの集合場所は新宿で集まってバスで出発する。

キリマンジャロ以来に山田さんに再会すると、
「ほんと新宿かアフリカでしか会いませんねー(笑)」とつっこまれる。(笑)

参加者全員集まったところで、バスは出発。

富士宮口5合目まで到着するまで、
軽く自己紹介をした後に山田さんの登山レクチャーを受ける。

自己紹介を通じて感じたのが、年齢も職業も登山歴も皆バラバラ。(笑)
この幅広い人達が集まったチームで富士山の頂上を目指すのも
ツアー登山ならではの醍醐味かもしれない。

そうこう、バスの中でワイワイしてるうちに富士宮口5合目目に到着。

到着して準備をしてから皆で記念撮影。

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そして、全員で出発!

今回のコースは皇太子様が利用されたプリンスルートを登り、頂上の剣ヶ峰を目指す。

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天気は快晴で非常に気持ちよく登る。

少し登ったところの山小屋でひと休憩をいれる。

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それから、少し登ったところに現れたのは前半戦の難所「宝永山」。

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アリ地獄のような形をしていて、土も柔らかく斜面も急なため前半戦の山場といえる。

全員で少しずつ、ゆっくりと登り。
山田さんが状況をみて小刻みに休憩を挟みながら、なんとかアリ地獄を脱出。

アリ地獄を脱出後に運良く雲がなくなり富士山の頂上が見えたので皆で記念撮影。

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写真を撮るとあっという間に頂上は雲に隠れて見えなくなった。(笑)
ラッキー!

そこから山小屋まで再度出発する。

登り始めてから、
8合目の山小屋までもう一息のところの7合目の山小屋で休憩。

そこで、山小屋でひと休憩していると!

「あれ?西くんだよね??」
と山小屋の人から声をかけられ、パッとみると
そこには、つい先月エルブルース登山で一緒に登った松田さんがいた!(笑)

なんと偶然!(笑)、二人ともびっくり!(笑)

山小屋の手伝いをしにきていたらしい。

こんな偶然あるもんだなーと別れを惜しみつつも再度出発。

前半戦ゴールの山小屋まであともう少しだが、お腹が空き始める。(笑)
お腹すいたー(笑)

そしてやっと、今日泊まる山小屋に到着!

到着すると、青森弁の方にベッドを案内される(笑)
なぜ、富士山で青森弁?(笑)

そして、待ちに待った夕食のカレーを食べる。

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このカレーが物凄く美味い!
山小屋で食べることで美味しさ5割増しになるのでわ?(笑)

美味しすぎたので、調子に乗って2杯食べてしまった。(笑)
山小屋マジック恐るべし!(笑)

ご飯を食べてから、みんなで山田さんを囲んでワイワイ楽しく過ごす。
この山小屋でのひと時が一番楽しいかもしれない。(笑)
この時間こそツアー登山の醍醐味!

あまりに盛り上がりすぎると、
そのまま寝ずに頂上アタックをすることになるので一旦寝る。(笑)

頂上で御来光をみるのを楽しみに、夜2時頃に山小屋を出発!

出発したのはいいが、とにかく寒い!(苦笑)

9月の富士山は寒い!(苦笑)

寒い!

寒い!

寒い!

風も強くて、寒さと戦いながら全員で登った。

全員、「寒い」「きつい」とつぶやきながらもなんやかんや順調に登る。(笑)

あまりに順調すぎて山田さんも「おもろない」とボヤく。(笑)

そのままの勢いで頂上の剣ヶ峰に到着!

到着と同時に辺りが明るくなり、ついに御来光が見えた!

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実はこの日を迎えるまで、週初めからずっと天気が悪く。
アタック日の天気予報も微妙な天候だったので、
みんな御来光を見れるか不安のまま登っていた。

その不安も御来光を見て吹き飛び、感動に包まれた。
頂上到着時間と御来光時間をぴったりと合わせて登る
山田さんガイドの神業でした。

そして、御来光が見えてから3分ぐらいで
一気に雲が増え辺りは完全に見えなくなった。
それは本当に、運というか自然だからこそ何が起こるかわからない感動だった。

全員で剣ヶ峰で御来光を見た後は、無事に下山して帰るだけ!

下山途中に山小屋に寄ってご飯を食べる。

この時の味噌汁がまた美味い!
山小屋マジック炸裂である。(笑)

ご飯を食べて再度下山開始!

下山、下山、下山

帰りのバスに到着して、バスに乗ると雨が激しく降り出した。(笑)
なんと運がいいのか(笑)

一同で山田さんに、「この雨が降るタイミングも計算済みですか?」(笑)
とつっこむ。(笑)

山田さん、「この雨は計算できるわけないでしょ!!」(笑)

こうして富士山ツアーは和気あいあいと終わった。

(トレラン)

トレランという山を走って登る(登山+マラソン)競技がある。

毎年、ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)という
国内最高峰のレースが富士山で開催される。
この大会に世界、国内のトップ選手が集まる。

大会内容は46時間以内に富士山をぐるーと一周161キロ走って、
累積標高差8300mを登って下りるという。
一般的な感覚からしたらぶっ飛んだ大会である。(笑)

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今はマラソンブームと同時にトレランも人気が高まっており、
UTMFはスケールも人気も国内最高峰とあって、
エントリー資格も実績がないと得られない。
(さらに、エントリーしてからの倍率もある)

僕は去年、UTMFの参加資格を満たそうと
2つの選考対象レースの完走を目指したのだが、
最後のレースの最後の関門で道を間違えて3分足りずに
参加資格を得ることができなかった。
相変わらずどんくさい!(苦笑)
北海道まで走りに行ったのにー(苦笑)

トレランを初めて3ヶ月で世界トップレースに出れるほど甘くないと痛感させられた。

でも、UTMFのハーフの部のSTYへの参加基準は満たしたのでSTYに出場してきた。
STYでも24時間以内に富士山半周の80キロを走って、4600mを登って下るのだから、
一般的な感覚ではぶっ飛んでいる。(笑)

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大会の開会式とスタートは富士山こどもの国で行われ、
富士山をぐるーと半周してから河口湖八木崎公園でゴールを迎える。

家を4時半に出発して会場に向かった。
朝の早起きからレースの戦いは始まっているのような気がする。(笑)

会場に到着して、受付と荷物チェックを済ましてスタートまで待つ。

しかし、この日は雨!
前日から雨が降っており、恐らくコースはビショビショで最悪のはず、、、

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スタートするまで終始僕を色々と助けてくれた(笑)
万場さんとツーショット写真を撮る。
万場さんは100キロマラソンでサブ10を切る強者!

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いざスタート!

先頭から離れた第2、第3集団ぐらいのペースで順調に走る。

第一関門までの初めの10キロは平道が続いていて、
ランニングを続ける。

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第一関門通過前にUTMFの選手と間違えられ煽られる。
関門スタッフ「残り20秒!、、10秒!、、」
僕「えっ!?このペースでもうそんな時間!?」
関門スタッフ「あっ!間違えた!」
僕「笑!」
この煽りでHPが20ほど削られる。(笑)

第一関門に到着して水分補給とご飯を軽く食べ終え再度出発する。
ペースは順調。

次の第二関門まではひたすら山道を走って、登る。
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登り場所に入ってからは、コースが狭いので大渋滞。

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開始15キロまでは順調に走っていたのだが、急に脱力感に襲われる、、

「なんだこの脱力感は」?
といつもと違う疲労感と戦いながら山を登る。

第二関門まで残り3キロ

残り3キロだが、
なんかよくわからない脱力感で力が入らずもがきながら登る。

なんでこんなに体がきついんだろうと?自問自答が続く。

そして、なんとか第二関門に到着。

ゴールまでは残り60キロある。
しかし、疲労感がいつもと違ったのでリタイアをすることを決める。

昨年から準備していたことなのでなんとかゴールしたかったが、
体調に異変を感じたので走るのをやめた。

改めて走り続けるよりもリタイアすることのほうが難しいと痛感。

しかし、予想外の第二関門でのリタイアからさらに冒険が始まった。
理由は車をゴール場所の近くに停めてあるため、
どちらにしても60キロ先のゴールまでいかないといけない。(笑)

しかし、、交通の便などなく、なんとか応援バス2台とタクシーを乗り継いで
車のある場所まで到着。
この時、たまたま同じ場所でリタイアした
シンガポール人の方と一緒に帰った。
UTMFに参加するためにシンガポールから来て、100キロ走ったところで
足を故障してリタイアしたそうである。
100キロ走っても完走できないUTMF恐るべし、、

リタイアしてからの帰り道も冒険だった。(笑)

こうして初STYは終わった。
来年またリベンジしたいと思います!

(駅伝)

富士山・山中湖チャリティー駅伝に参加した。

この大会はマラソンランナーの瀬古利彦さんが
「走ることで社会に恩返しを」
という思いから作られた大会である。

僕がこの大会に参加することになったのも
アフリカのキリマンジャロを登りに行った時に
帰りの飛行機が飛ばなくなったのがきっかけで瀬古監督と出会い
富士山・山中湖駅伝に参加するようになったという
もうわけのわからない展開である。(笑)

キリマンジャロ→飛行機飛ばない→瀬古監督→富士山・山名湖駅伝
キリマンジャロからの富士山というご縁なのか?(笑)

駅伝メンバーは、瀬古監督が率いる音楽団体の
パンキースのメンバーの方々を中心としたメンバーで
約4ヶ月ほど前から月に一度、
瀬古監督を中心に駅伝メンバーで
神宮外苑を走って準備をしてきた。

神宮外苑は瀬古監督が現役時代からずっと走ってきた場所であるので、
その場所を一緒に走れるだけでも不思議に思いつつも至福のひと時である。

瀬古監督を中心に駅伝メンバーで神宮外苑を走った後は、
反省会という名の飲み会でチーム結束力を高める。

やはり、素敵な方の周りには素敵な方々がたくさんいて
この駅伝をきっかけに多くの素敵な出会いがあり、
多くのことを学ぶことができた。

とにかく、大会までは瀬古監督を中心に
走って、飲んで、飲んで、飲んで、飲んで迎えた。

大会当日!

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天気は快晴!!
去年は富士山が全く見えないほどの雨に見舞われたらしいので、
ラッキー!!
会場のバックに見える富士山が
まるで銭湯の絵の富士山みたいに見えます。(笑)

開会式が終えて、各自スタート地点に移動。
1〜5区まであり。
僕はスタートの1区を走ることに。

スタート前は別にタイムを競うわけでもないのに
なにか特別な緊張感がある。
なんか、学生の頃の運動会でリレーを走る時の感覚を思い出す。
「この感じ懐かしいなー」と思いながらもスタートを切る。

先週のトレランの大会で不調だったので、
あまり飛ばさずに走ろうとスタートを切ったのだが、
瀬古監督と駅伝メンバーの方々に
「西!頑張れー!」
と声援を送って頂いたことでスイッチが入ってしまい、
一気にスピードを上げる!

しかし案の定、一気に調子に乗って走りすぎたので
お腹が痛くなりペースダウン。(笑)

でも、ちゃんと次の人にタスキを渡さないといけないので
富士山を眺めながら走ることで気をそらしながら走る。

改めて快晴の富士山を眺めるのは気持ちいい!
富士山で気をそらしながら走って、なんとかタスキをつないでゴール!

無事にタスキをつなげてよかったと一安心して、
コースを逆走し選手を応援しながら会場まで戻った。

そして、チーム全員でタスキをつなぎ終えフィニッシュ!

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皆さん、色々と多忙のなかで万全ではないものの
全力で走ってタスキをつなげゴールできたので本当感動です!
これぞ、駅伝の醍醐味!

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この大会を通じて感じたのが、走るのが早いとか遅いとかには価値はなく
普段よりも少しでも頑張れることがあればOKであるということ。
「いつもはきつくなったら歩くのだけど、歩かずに走り続けた」
とか、ほんの少しでも「いつもより」という部分があったらいいと思った。
そのような力を引き出してくれるのが駅伝の醍醐味なのかなと思いました。

そして、この大会を迎えるまでの練習会、反省会、前夜祭、大会当日にと
チームをまとめて頂いた、チーム事務局の方々には本当に感謝しています。
「ありがとうございました!」

(感想)

今まで、全く富士山と無縁だった者が一気にここ1ヶ月で富士山の
楽しさに片足をいれてしまったことで、
なんで今まで富士山にこなかったのだろうと反省をしております。(笑)

今回、登山、トレラン、駅伝と様々な視点で楽しんで感じたことは、
「人間万事塞翁が馬」という言葉があるように、
その瞬間、瞬間では何が不幸で幸せであるかわからないということ
を改めて実感しました。

登山ツアーも去年台風で中止になったから今年頂上まで行けて御来光を見ることができ、
トレランも、途中でリタイアしたことでシンガポール人の方と出会い冒険をすることができ、
駅伝も、アフリカで飛行機が飛ばなくなり日本に帰れなくなったから、
多くの素敵な出会いがあり今回出場することができました。

なので、その瞬間は不幸に感じるようなことでも
実は将来の幸せの種であるということもあれば、
その逆もしかりであるので、
いいことも悪いこともあまり気にせずに日々過ごした方がいいと思いました。

 

しかしあまり、富士山にはまりすぎるとその他の活動がおろそかに
なってしまうのでほどほどにしたいと思います。(笑)

それでは、今後ともよろしくお願いします!

エルブルース(ヨーロッパ最高峰)

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キリマンジャロ登頂から約8ヶ月、
ようやくヨーロッパ大陸最高峰の
エルブルースに挑戦することができた。
中8ヶ月はあっという間のようで長かった。

(エルブルース)

エルブルースはロシアのコーカス山脈にある、
ヨーロッパ大陸最高峰の山である。
標高は5624mで、西峰(5,642m)と東峰(5,621m)の
2つのピークから成り立っているのが特徴的。
また、天候の変化が激しい山であり
ホワイトアウト(吹雪で視界が悪くなる現象)
で登山者を苦しる山である。

(エルブルースまでの準備)

まず、エルブルース登山で失敗する要因を分析すると、
大きく以下の3点に集約される。
①天候(雪崩、強風なども含む)
②高山病
③体調(ケガ、体力不足)
失敗の可能性には様々な要素があるが、
上記の要因がウェートのほぼ全てを占めると考えられる。
つまり、この3大要因をいかに防ぐかが成功への道となる。
さらに、僕は今回が初めての雪山挑戦であったが、
今後の伸びしろを見極めるため雪山トレーニングなしで挑んでみた。
非常識で危ないと思われるが、
玉砕覚悟で雪山初挑戦をエルブルースで試してみたかった。

(①天候対策)

今回の失敗要因で一番可能性が高かったのが、
天候による失敗であった。
しかし、天候は人的力を超えているので、
運頼みになってしまうしかない。
エルブルースは3時間おきに天候が変わるといわれ、
特にホワイトアウトという強風が登山者を苦しめる。
すなわち、天候が急変した時に即登頂を諦めて
撤退できる「心」の準備をしておく必要があった。

とは、言っても登頂を自分の意思で諦めるのは難しい。
完全に動けなくなったり、意識がなくなったり
したら諦めはつくが、
自らの意思で諦めるのは、想像しただけで難しい。
ただでさえ高所で意識がもうろうとしている状況の中で
冷静に判断していかなければならない。
だから、どのような状況でも冷静になれるように
僕は「禅」を始めた。

(禅)

もともと日本文化をもっと勉強していきたいと
思っていたので今回が禅を学ぶいい機会であった。
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僕が通ったのは、日暮里にある山岡鉄舟縁の寺「全生庵」
で今は平井正修さんが住職をされている。
最近は安部総理大臣が通っていることもあってか、
初参加時は2ヶ月前から予約しないと入れない。
僕みたいな普段はどんくさくてでぼーとしているような
人間にはお寺での座禅体験はすごく良い経験であった。
禅は座禅をしたからといって特別に
何か得たり集中力が上がるようになるわけではない。
単に意識を呼吸に集中するだけ。
すなわち、その時にやるべきことだけをやるだけである。
緊張した時はそのまま緊張すればいいし、
仕事をする時は仕事をする。
その場その場で必要なことだけをすればいい。
なので、登山をする時はガイドの指示に従って
登る時は登り、
下るときは下るだけである。
禅によって冷静に判断できる心の準備はできた。

(②高山病対策)

次にキリマンジャロ時に強烈に苦しめられた高山病対策である。
高山病対策は体を高度順応させるしかない。(体調や先天的な要素もあるが)
とはいっても日本で一番高い場所は富士山の3778mである。

そこで、80歳でエベレストに登頂したことで有名な三浦雄一郎さんが
提供しているミウラドルフィンズに低酸素トレーニングをさせて頂いた。
ちなみに、イッテQで有名なイモトさんもこの施設を利用している。

まず、簡単な高所テストをして現状把握を行い、
低酸素室に入ってトレーニングを行う。
また、高山病は呼吸法が大事なので、
心拍数を把握しながら呼吸法のレクチャーもして頂ける。
低酸素室は6000mまでの酸素環境を作れ、
4500m~6000mまで徐々に体を慣らしていく。

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隣に写っている方はキリマンジャロに登りにいかれた鈴木さん。
二人ともトレーニング前なので笑顔で写真に写っているが。
この後、6000mまで標高を上げたのちに笑顔と表情は消えた、、、
この、低酸素トレーニングはなるべく直前期に集中してやったほうが
効果がある。

一度、寝不足のままトレーニングをしたら
案の定高山病の症状が強く出た。
改めて日々の体調管理が重要だと実感させられた。

そして、低酸素トレーニング最終日に奇跡が起こった。
低酸素室で意識もうろうとトレーニングしていたところ、
見たことある白髪の男性が、部屋の外にいる。
改めて見てみるとそこには三浦さんがいた!
たまたま取材があったらしく施設に来ていたのだ。

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なんと幸運なことが!
三浦さんはとても優しい方だった。

低酸素トレーニングは翌日まで症状が残るので大変だったが、
しっかりと高度順応の準備をすることができた。

 (③体力対策)

体力対策は①基礎体力の向上、②食生活の改善、③体の柔軟性の向上、
上記の三点に力を入れた。

①基礎体力の向上として→1周間連続でフルマラソンができる体力を作った。
さらに、24時間マラソンもしたかったのだが、
24時間走れる日がなかったので秋の楽しみとする。

②食生活の改善として→ジョコビッチ(プロテニスプレイヤー)
が実践しているグルテンフリーダイエットを取り入れた。
今まで気付かなかったのだが僕はグルテンと相性が悪いらしく、
パン、麺類、お菓子を食べるのを一切やめたら、
体のキレが増し、さらに体重が3キロ程絞れた。
春先まで毎日運動していても体重は落ちなかったのに
グルテンカットするだけ体重が落ちたのだから、
不思議である。

③体の柔軟性の向上として→毎日20種類のストレッチを
12秒×3セットしている。
このストレッチを半身浴の後にすると疲労回復にもつながる。

以上の体力作りを日々の習慣にした。

(エルブルースへ:日本→ミネラルボディ)

以上の準備をしたうえでいざエルブルースへとむかった。
エルブルースはモスクワから飛行機で
2時間ほど離れたミネラルボディ空港
から車で3時間程の場所にある。
僕のフライトは日本→ドバイ→モスクワ→ミネラルボディと経由して到着する。
前回のキリマンジャロ時にタンザニアの空港でボイコットされて
日本に帰るのが一日遅くなってしまうという事件があったので、
今回はフライトで事件が起きないようにと願っていた。
しかし順調に日本→ドバイ→モスクワと経由して、
最後のミネラルボディへと出発する搭乗口で待っていた時に
「このフライトは今日は飛ばない」というアナウンスが流れた。(苦笑)
今回も事件がきたぁーーーと思うと同時に、
エルブルースに試されているようだった。
その場で、新しいフライトとモスクワでのホテルを手配したのだが、
翌日の早朝にホテルから空港まで地下鉄の乗り継ぎと高速鉄道を使って
移動しなけばならなくなり、余計な神経を使わされてしまった。(苦笑)

(1日目:モスクワ空港からチゲェト村のホテルへ)

ミネラルボディ空港で現地のガイドで
今回の司令塔のユウリさんと合流して、
空港から車で3時間程かけてベースキャップ近くにある
チゲェト村のホテルへ移動。
HOTERU

チゲェト村は標高2100mのとろこにあり、
山岳リゾート地でホテルが密集している。
ちなみに今回は、「Pilgrim Tours」という現地ツアーに参加した。
現地ツアーなので、総勢7ヶ国で12人の多国籍パーティとなった。
この日は、ホテルに到着してから夕食を食べて寝るだけ。
日本からのフライトや朝からの地下鉄移動などもあり、
ホテルに着くとすぐに眠りについた。
寝過ぎて夕食に遅刻してしまう程寝ました、、(苦笑)

(2日目:ホテルからチゲェト山へ)

二日目はホテルで朝食を食べてチゲェト村から
チゲェト・カラバシ山へと高度順応を兼ねたハイキング。
カラバシ山はエルブルースの向いにある
標高3400m程の山である。
チゲェトの町からスキーリフト2本乗り継ぎ、
スキー場上部から2時間ほどのハイキングで山頂へ。
カラバシ山からうっすらと見えたのはエルブルース。
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そしてまた1時間程で下り、ホテルへと戻る。
ちなみにカラバシ山から見えるこの山は
KARAABSI

ドングゾラン山(4437m)という山で、
岩肌が「7」の字に見えることで有名な山。
エルブルースはセブンサミッツの一つなので、
なんとも不思議な山である。
この日はこの軽いハイキングをして終わり。
後はホテルに戻ってリラックス。
ほぼ眠っていたが、、

  (3日目:ホテルからベースキャンプへ)

三日目はホテルからいよいよベースキャンプへと出発する。
ホテルから車で10分、エルブルースの登山口テレスコルから
ゴンドラ2本を使ってベースキャンプとなるバロー小屋へ。
今回のベースキャンプとなるこのバロー小屋は
標高3700mの場所にある。
koya
この移動の時に面白かったのが、食料、水、道具の
バケツリレーである。
登山口からは食料などの荷物を各自運ばないといけないのだが、
総勢10人を超えるパーティなので
その量も相当なものである。
なのでゴンドラからゴンドラへと移動する時、
ゴンドラからバロー小屋に移動する際は
みんなでバケツリレーで物を運んだ。
そのバケツリレーがとてつもなく早い!
誰の支持もなく、各自配置について
モノを移動をさせるので、見ただけでゾッとするような
荷物もあっという間に移動できた。
僕はこのバケツリレーを見て
このチームはみんな登れると思った。(天候や高山病などを除いて)
というぐらいの完璧なチームワークだった。

ベースキャンプへの荷物の移動を終えると
ランチを食べてから高度順応のため
エルブルースの4700m地点にある
パスツーコフまで4時間程かけて
ハイキング。

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僕はこの時が初めてのアイゼンを
つけての雪山歩行だったので、
一歩一歩の感触を確かめながら登った。
なので、神経的にも肉体的にも疲れ、
ベースキャンプに戻るとすぐに寝た。

(4日目:リラックスDay)

4日目は夜0時からアタックが開始されるので
昼に雪山墜落時の対策をしてからは、
終始リラックスする日に。
つらく
僕はアタックまでは極力無駄なことをしたくないので
一日中寝ていた。
僕はアタックまでの時間は極力寝るようにしている。
仲間と話すのも、景色や星空を楽しみのも
アタックが終わるまでは我慢する。
とにかく力を貯めるために寝る。

 (5日目:アタック日)

そしていよいよアタック日。
23時に起きて軽くご飯を食べて準備をして
0時からアタックを開始する。
この時に完全に登山スイッチを入れる。
高山病の症状は全くなし。
二日前に登った道を真っ暗闇の中登る。
真っ暗で何も見えないのと集中して
登っていることもあってか
あっという間に3時間程で
パストホフロックに到着した。
ここからさらに一直線の坂を2時間程登る。

ああああ
坂を登り切ると、20cm足を滑らせると
下に墜落するような緩い坂を2時間程登った。

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この時点でも高山病の症状は出ていなかったのだが、
アイゼンで雪山を6時間登り続けたのに加え、
墜落しないように神経を使って歩いたので、
疲労感が強くなってきてしまった。
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休憩時間になると即座に座り込むようになる。
キリマンジャロは最終アタックで
約1000mを6時間登るのに比べ、
エルブルースは1800mを10時間以上かけて登る。
キリマンジャロに比べて2倍近い時間の
雪山を登ることになるのである。
5200m時点ぐらいで墜落に気をつけながら
登り続けた緩い坂が終わり一息つこうとした時に
見えたのは過去最大に急な斜面の山が見えた。
エルブルースは山を登るとまた新しい山が出てくる。
腰から地面に座り込んで休みながら、
目の前に見える巨大な坂を眺める。
そこにガイドのユウリが
「この坂を登ったらサミット!」
「ラスト3時間だ!」
「後はもう簡単」
と励ましの声をかけてくれる。
神経も体力も底をつきはじめた。
高山病対策の呼吸を強くしすぎて
過呼吸気味になってしまうこともあった。
もうここからは気力勝負。
今までで一番急で墜落しそうな坂を
一本のロープを頼りに呼吸だけ意識して気力で登る。
ラスト3時間は本当に気力だけで登った。
そして、
「もうあと10分でサミットだ!」
「天気は快晴!我々はラッキーだ!」
と声をかけてくれる。
ユウリの言うとおりに天候に恵まれて運が良かった。
そして、最後の力を振り絞って登ること10分。
ついに頂上が見えた。
今回も嬉しさよりも先にもう登らなくて済むという
気持ちで頂上に登った。
登れて「ホッと」したのが正直な気持ちだった。

全員頂上あ

 

 

 

 

 

登頂の余韻に浸った後は下りがまっている。
当然力は残ってなくて通常の1.5倍近い時間をかけて下った。
エルブルース登山は登りも大変だったが、
最後の下りが一番大変だった。
こんなに山を登ったのか?
と疑いたくなるような下り坂がまっていた。
ベースキャンプまでの時間は長かった。

(6日目:ベースキャンプからホテルへ)

翌日、ベースキャンプからホテルへと戻って祝賀会をした。
今回はなんと全員無事に登頂に成功することができた。
そのぐらい天候に恵まれたのだろう。
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なので最後に登頂祝いに全員でウォッカで
打ち上げパーティーをして幕を閉じた。
エルブルースに登るような人達が12人集まって
ショットグラスとウォッカを片手にする
パーティーがその後どうなったかは
ご想像にお任せします。(笑)

(感想)

今回もギリギリの登頂でした。
原因は雪山への慣れと体調が
ベストになってなかったこと。
雪山を舐めていたわけではないのですが、
想像を遥かに超える大変さでした。
基礎体力の訓練と高山病対策を
しっかりしてなかったら、
乗り換えられなかったのかもしれないです。
体調管理も登山直前期のスケジュールを
もっとシンプルにしていかないといけないと思いました。
まだ勢いと運で登れてるだけなので、
改善していきたいと思います。

本当に天候に恵まれてラッキーでした。
今回はそれに尽きます。

次は南米のアコンカグア!

それでは、今後ともよろしくお願いします!

 

GWマラソン

(GWに1週間連続フルマラソンに挑戦)

キリマンジャロ登山からの3ヶ月間、
筋トレオタクになってしまった僕は、
実際どのくらい効果があるのか試したくなった。

僕の今年の大きな目標は、
エルブルース登山と年末のアコンカグア登山である。
さらにもう一つ、ゴビ砂漠マラソン完走!

ゴビ砂漠マラソン???

おまえは今5大陸最高峰の登山に挑戦しているんだろ?
なぜマラソン?
てかゴビ砂漠マラソンとは何??

その前に、登山は非常に足腰を中心に体力が必要なスポーツ。
登山の筋肉は登山で作るのが一番だと思うのだが、
何かほかの方法で、楽しみながら体力を向上させたいと思った。

それで、最初に思い浮かんだのがランニング。
すなわちマラソン。

早速、マラソンに関する情報をググり調べる。

「東京マラソン」「サブ3」「ウルトラマラソン」、、、

調べると出てくる情報の中に、
「ウルトラマラソン」というワードが出てきた。(笑)

僕の今までの価値観では、
フルマラソンの42キロを走るだけでウルトラな世界だった。(笑)

さらに、ウルトラマラソンを
ググっているうちにまた変なワードが出てきた。

「砂漠マラソン」

さ、砂漠マラソン??
聞いて名の通り、砂漠を走るのだろうか?
ウルトラを超えると砂漠?(笑)
フルマラソン<ウルトラマラソン<砂漠マラソン?(笑)

さらに、ググると世界には、
世界一過酷な世界3大砂漠マラソン大会が存在するらしい。

そんなもん知るかい!(笑)

普通に生きていれば、
「砂漠マラソン」というワードはまず出てこない。
(ということは今は普通ではないのか、、、)(笑)
さらに、なんで世界一過酷な大会が3つもあるんや!
とつっこみたくなる。

そう、その世界3大砂漠マラソンの一つがゴビ砂漠マラソンなのである。
一体、どんな大会なのだろうか?
ざっくり言うと、
モンゴルの砂漠を6日間で250キロ走る大会なのである。(笑)

こっこれは、足腰が強くなる。(笑)
このゴビ砂漠マラソンを倒せれば、
年末のアコンカグアも倒せるはず。(プラス思考)
僕はこのゴビ砂漠マラソンを完走することを、
持久力UPのモチベーションにすることにした。

それで、今回のGWに実際に1週間連続で、
フルマラソンを走れるのかを挑戦することにしたのである。

(なぜ路線を走るのか?)

でっ、1週間連続でどこを42キロ走るのか?
まず、コース決めから始まった。

GW期間中に開催されるマラソン大会を日本全国で調べるが、
1週間連続の日程ではない。

はて、どうするか?
いつも走ってるコースを42キロ×7日間走るか?
それは絶対におもしろくない。(笑)
僕はどこを走ると楽しくフルマラソンができるのかを考えた。

そして、あるイベントに参加したときに「ふと」思いついた。

参加したイベントは、
芥川賞作家の磯崎憲一郎さんが新刊の「電車道」の販売を記念して行われた、
将棋棋士の羽生善治(現四冠)さんとのトークイベント。
僕は無類の羽生さんの大大大ファンなので、
運よくイベントに参加することができた。

僕はこのイベントで、
「電車」「電車」「電車」と何度も聞いているうちに、
「あっ、電車の路線沿いを42キロずつ走れば、
飽きずに楽しめるかも」と思いついた。
そして、駅で迷路のような路線マップを見たときにやってみようと思った。
路線沿いなら途中でハプニングがあっても、
電車に乗ってすぐに帰れるので。(笑)

(このマラソンは登山トレーニングの一環です)

GW前に行きつけの美容院に行ったときの話である。

まず、初めて会った時の会話から。

美容師さん 「年末年始は実家に帰省されるんですか?」
僕     「いえ、アフリカのキリマンジャロを登りに行きます。」
美容師さん 「えっ!?」(笑+どん引き)

2回目

美容師さん 「キ、キリマンジャロは登られたんですか?」
僕     「はい、なんとか」
美容師さん 「本当に登ったんですね」(笑+リアルだった)

3回目

美容師さん 「今度のGWはどこか遊びにいかれるんですか?」
僕     「はい、1週間連続でフルマラソンを走ろうと思ってます。」
美容師さん 「えっ!?」(笑+どんどん引き)
僕     「山手線、中央線って具合で各路線沿いを42キロずつ走ろうと思ってます。」
美容師さん 「はっ!?」(笑+どんどんどん引き)
僕     「さらに、走ったところがグーグルマップに線が引かれて行くんです。」
美容師さん 「おっ!?」(笑+どんどんどんどん引き)
美容師さん 「知り合いに、日本中を旅して引いたグーグルマップの線で、プロポーズをした人がいるみたいですよ。」
僕     「世の中、上には上がいますね!」(笑)
美容師さん 「そんなことしてたら病んでいるんじゃないかと心配してしまいますよ」(苦笑)
僕     「まあ、見方によってわ、、、」
僕     「てか、僕は病んでいるわけではないですから!!」(笑)

このマラソンはただのトレーニングの一環です。(笑)

(1日目:山手線)

まずGWマラソンのスタートは山手線から。
いつも使っている路線で、今回唯一の円形路線である。

スタートはもちろん新宿から。

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目標は、1キロ7分半前後のペースで走ること。
このペースで走れれば5時間から5時間半の間で完走できる。

僕の当初の目標は、上記のペースで7日間は走りきることだった。

新宿駅から新大久保、高田馬場と路線沿いを進んで行く。
いつも見慣れている駅や景色を通過しながら走って行く。
山手線の景色は次から次へと変わっていく。
池袋、日暮里、上野、秋葉原、東京、品川、恵比寿、渋谷、原宿
次から次へと違う色をした町と人が現れてくる。
なので、景色が刺激的であり流動性が高いので走っていて楽しかった。

しかし、山手線沿いの弱点は人が多いこと。(笑)
渋谷、原宿を走り抜けるのは至難の業。(笑)

そんなこんなんで、特にトラブルもなく初日は終了した。

初日のタイムは5時間30分38秒

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順調に計画通りに進めて行くことができた。
だから、ご褒美にビールを飲んで寝る。(ストイックになりすぎずに)

(2日目:埼京線)

二日目は都心乗客数ランキング2位の埼京線。

埼京線は埼玉の大宮駅から東京の大崎駅まで結ぶ路線である。
二日目は埼玉から東京への旅である。

スタートは大宮駅。

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個人的に初埼玉だったのでワクワク。
大宮駅から浦和駅へと走る。
サッカーファンの僕は大宮アルディージャと浦和レッズを連想しながら走る。(笑)

初埼玉の景色を楽しみながら走る。
昨日の刺激的な町並みから一変して、閑静な住宅街沿いを走る。

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ひたすらのどかな住宅街沿いを走って現れたのが、
荒川を結ぶ戸田橋である。

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この橋を超えたら東京。

それから、20キロ時点ぐらいまでは順調に走っていたのだが。
徐々に足に違和感が、ズキズキとしだしてきた。
(おい、まだ2日目だぞ、、、)
うぅーん、この感覚はヤバい予感、、、
情けないが、早くも嫌な予感、、、

嫌な予感は新宿駅あたりで的中。
無理をせずに、走るのをやめ競歩へチェンジ(トホホ)

やはり、ウルトラマラソンは甘くない。

それから、残り5キロを原宿、渋谷、恵比寿、目黒と歩く。
最後の区間の目黒駅から大崎駅までがしんどかった。

が、なんとか大崎駅に到着!!

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大崎駅に到着した時は、恐らく、
大崎駅を見て感動した日本人ランキングで、
歴代TOP10に入るのではないかというぐらい嬉しかった。(笑)

二日目のタイムは6時間48分57秒

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早くもこの先の雲いきが怪しい(苦笑)
が、そんなの気にせずにビールを飲んで寝る。

(3日目:東海道本線)

3日目の東海道本線は東京駅から神戸駅までを結ぶ日本最大の路線。
JR東日本の管轄は東京駅から熱海駅まで。
その距離は100キロオーバー!ながっ!

コースの選択枠は2つ
1、東京駅からスタートして42キロ時点で終わりにする。
2、熱海駅でちょうど42キロ時点になるところからスタートする。

僕は迷うことなく熱海駅を目指すことに決めた。

理由は、熱海だから

そう熱海だから

熱海だから温泉に入れるから(幸)

3日目のプランとしては、熱海駅まで無事に42キロを走り終えて、
その足で温泉に入り、風呂上がりのビールを飲み、
あわよくばマッサージまで受けて、
帰りの電車で爆睡して帰る。(幸)

このプランを実行できればGWらしい一日になるはず(笑)

僕は温泉とビールの希望を胸にスタート時点の大磯駅から出発した。

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箱根駅伝で有名な東海道の田舎道を走る。
初日、二日目と東京のど真ん中を走ってきたので、
この田舎風景がめちゃめちゃ気持ちいい。

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しかし、人生初の連続フルマラソン3日目。
開始そうそう5キロ時点ぐらいで、早くも足が張り張りで、
走るスピードと歩くスピードが変わらない状態になる。(苦笑)

ならば競歩へチェンジ(トホホ)

東海道をひたすら、競歩、競歩、競歩

この日差しと気温は本当に5月?と言いたくなるような天候。

20〜30キロ時点はひたすら歩道がなく、
海外線沿いの車道脇を車に煽られながら歩く。

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約10キロ超の距離を炎天下の中、車に煽られながら歩くのは疲れる。
さすが熱海、楽には温泉に入らせてくれない。(苦笑)

30キロ

35キロ

40キロ

とひたすら歩く。
炎天下で意識がもうろうとしている中、
頭の中は「温泉」と「ビール」とあわよくば「マッサージ」でいっぱい。

もう温泉とビールのことしか考えていない中、ついに熱海駅に到着!

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三日目のタイムは6時間56分1秒

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本当に5月なの?という炎天下の中を歩き。(苦笑)
過去最悪のタイムを叩き出したが、、、
温泉、ビール、マッサージの三点セットをゲットして帰って寝る。

(4日目:横浜線)

4日目は横浜線の東神奈川駅からスタートし、八王子駅方面を目指す。

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この日の疲労はピークで開始5キロぐらいで、走れなくなり、
残りをひたすら歩く、歩く、歩く。

7日間の中の4日目はちょうど中間時点で気持ち的にもしんどい。

しかも途中で、グーグルマップの使い過ぎと
炎天下の影響でiphoneの充電がなくなり、
野生の感だけを頼りに路線沿いを歩くことに(苦笑)

4日目はひたすら足が痛くしんどいと思いながら歩いていたので、
あまり記憶がない。

が、最後に、、、

走行距離41キロを超えて見えてきたのが、相模大野駅

相模大野駅は確か横浜線のはず

横浜線のはず、

横浜線のはず、、

ちゃんと確認

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相模大野駅は小田急線であった。(苦笑)

僕はいつの間にか小田急線沿いを歩いていた。(苦笑)

4日目にして初の脱線事故

でも42キロは42キロなので(プラス思考に)

四日目のタイムは7時間15分12秒

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過去最低記録+脱線事故

4日目は最悪だった。
明日はどうなることやら、、、
そんなの気にせずにビールを飲んで寝る。

(5日目:総武線)

5日目の寝起きは過去最悪に体が重い、、、
これは8時間越えになるのでは、、、(苦笑)
と不安抱えたまま5日目は総武線の千葉駅からスタート。

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総武線のすぐ横には大きな国道があるので道がシンプル。

恐らく4日目のような脱線事故は起きないはず。(笑)

ひったすら国道の道をまっすぐ走る。

3、4日目とほぼ競歩状態が続いていたので、
この日はもっと動けなくなるのかと思っていたが、
なぜか、5日目は走れる、走れる。

足に痛みがなく、走れることに喜びを感じる。(意味が分からない喜び)

ひたっすら走るが、足は痛くならない。

走る

あっ!パッキャオVSメイウェザーの試合見るの忘れた、、、
とショックを受けながらも走る。

走る

走ること41キロ時点で見えてきたのは明治大学。

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ということは、この日はお茶の水駅でフィニッシュ。

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5日目のタイムは5時間23分25秒

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お茶の水駅で終わったのは何かの縁。
なぜ5日目は走れたのかは謎。(笑)
ひょっとしたら明日は4時間台で走れるんじゃね?
と思いながらビールを飲んで寝る。

(6日目:小田急線)

6日目のスタートは小田急線の新宿駅。

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小田急線は住宅街の中にあるイメージ。(勝手なイメージですが)

ということは、またくねくねした道が続くのか、、(苦笑)

昨日に奇跡的な回復で走れたので、
この日も走れるのではないかと淡い期待を抱いてスタートしたのだが、、、

昨日の快調走が嘘のように、、、

開始早々、走れないのを悟る。。。

ならば競歩でゴールしたろうではないか。

さらにグーグルマップに頼らずに野生の勘だけを頼りにゴールしたろう
ではないかと意気込む。

野生の勘だけを頼りに住宅道どうを歩く。

が、この先は行き止まりぽい道に出くわす。

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引き返そうと思ったが、よーーく見ると左脇に小さな道が!?

確認してみると

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行き止まりと思った場所に秘密の通路があるではないか!(笑)

こんな具合に、
一人アホらしく迷路のような道を歩き続けること40キロ。

見えてきた駅は相模大野駅。(笑)

相模大野駅は2日前に下見をした駅だ。(笑)
(この日のために)

さらにもう一駅分歩き。

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6日目は小田急線相模原駅でフィニッシュ!

6日目のタイムは7時間14分27秒

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今日が終われば明日でラストの精神で歩き続けた6日目。
最終日は深夜1時半スタートなので(笑)
19時にビールを飲んで寝る。

(最終日:中央線)

最終日は中央線。
深夜1時半から原宿を目指す旅。(笑)

なんでアホみたいに深夜1時半からのスタートなのかというと。
この日は、シブヤ大学開催で杉山文野さん主催の「ハートをつなごう授業」が、
原宿で開催される。

このイベントは子供達を対象としたLGBTに関する授業で、
ゲストとして元WBC世界フライ級チャンピオンの真道ゴーさんと、
山田邦子さんが団長を努める「スター混声合唱団」の授業が受けられる。

今後教育現場に立つ身として、目から鱗のイベントである。

イベントの開催時間は原宿で10時〜15時までの日程。

うぅーん、最終日はいつ走るか?笑

イベントの前に走るか、後に走るか?

よし、先にマラソンを終わらせよう!

9時半前までに原宿に到着するためには何時に出発?

コンディションが全快なら3時間半ぐらいでいけると思うが、、
6日連続フルマラソンでもう足はパンパンパンパン(笑)

恐らく全部競歩で歩いて7時間ちょっとでいけるはず。
しかし、最終日途中で何があるかわからないので、
余裕をもって深夜1時半にスタートすることにした。(笑)

スタートは豊田駅。
月がみえる。(笑)

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深夜1時に起きて予定通りに1時半にスタート。

9時までに原宿に到着できるように歩く。

早歩きで歩き続ければ9時までには間に合うはず。

初日から6日目まで、快晴な炎天下の中走ってきたので、
夜の道を歩くのは涼しくて気持ちいい。

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もう主旨がフルマラソンからフル競歩に変わってしまったが、
目標を達成する執着心とその過程の柔軟性をもって、
ひたすら歩く、歩く、歩く。

足がとまらない限り、9時には間に合うはず。

国分寺、武蔵小金井、武蔵境、三鷹、吉祥寺、荻窪、中野

ゆっくりだが少しずつゴールに近づいている。

新宿駅を通過。残り4キロ、目指すのは千駄ヶ谷駅。

今回のGWマラソンで何回、新宿駅を通ったけ?(笑)
と1週間を振り返る。

残り、3キロ

残り、2キロ

残り、1キロ

残り、0キロ

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到着!!!!
最終日のタイムは、7時間5分30秒

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これで、GWマラソンから解放される!(笑)
と喜ぶ時間もつかの間、
早く原宿に行かないと遅刻するーーーー!
急げ!急げ!
と足を引きずりながら次のイベントに向かった。(笑)

(感想)

1週間の合計タイムは、45時間33分30秒
(予定より10時間以上オーバー)

今回、1週間連続のフルマラソンに挑戦してみて、
強烈にウルトラマラソンの洗礼を浴びました。

100キロ、200キロ、300キロを走り続けるのは難しい。

しかし、挑戦して良かったことは改善点が明らかになったこと。
1月から持久力UPを目指してトレーニングをしてきたが、
根本的に鍛え方を間違えていた。

正直、苦しいと思ったことはないのだが、
足が痛くて、どうしても走れなくなるのである。

だから大事なのは体のバランス。

車で例えれば、いくら時速300キロを出せて、
1Lで40キロ走れるエンジンを持った車でも、
タイヤがパンクしたら走れない。

それと同じで、今の僕は足と肺活量のバランスが悪い。
(もっと細分化できるが)

恐らく、今までのトレーニングが肺活量に偏るトレーニングだったのだろう。

だからこれから、
改善点として体のバランスを整えていくために、
何をしたらいいのかを試行錯誤していこうと思います。

今回、山手線、埼京線、東海道本線、
横浜線、総武線、小田急線、中央線
と都心を代表する路線沿いを走り、
様々な人と町を見てきましたが。
人も景色も本当に様々!
だから、常に楽しく走ることができました!

 

 

 

 

最後に今回学んだことを写真一枚で伝えたいと思います。

 

 

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それでは、今後ともよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

エルブルース登山に向けて

エルブルース登山まで残り4ヶ月
(ヨーロッパ最高峰)

キリマンジャロ登山からあっという間に3ヶ月

その間にブログの更新は一切なし、、、(苦笑)

こいつブログ開始早々サボっているな?、、、、

違う!!!

僕は筋トレに熱中していた。(笑)

筋トレに熱中しすぎた僕は、
ブログの存在を忘れていた。(笑)

というよりも、筋トレ以外のこと全てを忘れていた。(笑)

特別な用事以外は、「食う、寝る、風呂、仕事、筋トレ」
しかしていなかった。

それ以外のことは何もしたくなるほど、
筋トレに熱中していた。

昔から何かに熱中するとそれ以外のことが見えなくなる。(笑)

今年の目標のエルブルース・アコンカグア登山と、
ゴビ砂漠マラソンに向けて、
更に、持久力UPと怪我をしない体作りをしようと思い、
筋トレを始めた。

まだこの時期なら体がぶっ壊れてもいいと思ったので、
先入観と難しいことは考えず。(超回復理論など)

腹筋1000回、スクワット500回、バイク40km、スイム1.5km、ラン10km
を一日の日課にした。

一般市民の僕からしてはこの数字は、恐ろしい数字だった。

でも達成感はありそう。(笑)

よし一度どれだけ体がもつのか、人体実験をしてみよう!

まず、そもそもこの日課をこなせるのか?

勝負の初日!

、、、、、、、、、、、、、、、、

全部無事に目標達成(祝)

初日こなしてみた感想は?
「あれ?意外に全部こなせた」(家に帰り次第、布団にバタンQしたが)

自分でやりたいことをしているだけなので全然辛くなく、むしろ楽しい。

ここから、僕は筋トレにのめりこんでしまい、
「食う、寝る、風呂、仕事、筋トレ」オンリー生活が始まった。

2日目、3日目、4日目、、、、、1週間と順調にこなせた。

恐らく、初めの1週間はモチベーションとアドレナリン全開で、
疲れも何も感じなかったのだろう。

1週間、正直無理だと思っていた数字を達成して、
このままいけば、体が順応してこの筋トレが歯磨き感覚になるのでは?

という淡い期待をもってしまった。(苦笑)

しかし、そう甘くない!

開始3週間目の終わりにとうとう動けなくなり寝こむことに。(トホホ)
それでも腹筋1000回だけは妥協しないように継続。

それから、だいたい2週間おきに一度、土日に動けず寝こむ日々。

徐々にだいたい自分の体のリズムがわかってくる。

寝こむ日がやって来ると、「おっ、きたきた」
と動けないDayを歓迎することができるようになった。
(前兆がわかりにくく、いきなりやってくるのだが)

それと身をもってわかったのが、

「イライラとカルシウムの関係」

よく子供の頃に、怒っている人がいると、
「カルシウムが足りないから牛乳を飲め!」
とよくからかっていたものだが、
改めてその意味を実感した。(笑)

「人間はカルシウムが足りなくなるとイライラする!!!」。

僕は基本的にはあまりイライラしたりしないのだが(能天気な性格なのだろう)

僕はこの3ヶ月間、常時イライラしていた。(筋トレ中だけ楽しいのだが)

筋トレが僕の体からカルシウムを奪う。

イライラ、イライラ、イライラ

を抑えるために、牛乳を大量に飲む。

すると、牛乳が体質に合わないのか?
それか、単に飲み過ぎただけなのか?
おなかが、ユルユルになる。(笑)

イライラ、ユルユル、イライラ、ユルユル

僕は3ヶ月間この「イラユル病」に悩まされた。(苦笑)

そして、、、、、

筋トレ開始3ヶ月目の終わりに、花粉症も重なってなのかわからないが、
1週間動けなくなった。。。。。。(仕事と腹筋はなんとかこなす)

そして、冷静に我に戻って反省をすることに。

体が壊れてもいいと思って無茶ぶりした筋トレにのめりこみ、
壊れては復活を繰り返しながら、
毎日目標をクリアしないと気がすまない熱中野郎になり、
その他のことは一切考えない、筋トレオンリーDayを続けてきた。

でっ、いつまでこの筋トレオンリーDayを続けるの?

てかまず、そもそもオマエは何を目指しているのか?

「エルブルース登山だけ?ゴビ砂漠マラソンだけ?」

いや違う

「エベレスト・ティーチャー」だろ!!

その為にも、筋トレ以外にもやることたくさんあるだろ!

バカな僕のエネルギーは、全てただの「筋トレオタク」の方向に向かっていた。

もちろん、目の前のことを一つ一つクリアしていく必要があるが、
もっと大局的にみて、
エネルギーを使う方向をバランス良くしていかなければ、
最終目標は達成できない。

恐らく、この3ヶ月間は一生懸命頑張ったように見えて失敗。

だから、日々のバランスを整える為にも、
もっと質と効率の良い筋トレ方法を考える必要がある。

なので今、筋トレメニューをまた0から考え直している。

最終目標のエベレスト・ティーチャーを見据えながらも、
まず、直近の目標のエルブルース・アコンカグア登山、
ゴビ砂漠マラソンに挑戦する時にベストになるように。

日々、筋トレメニューを模索中!
日々、体のリズムを検証中!
日々、改善、改善、改善!

でっ!

どれだけ今までのバカみたいな筋トレの効果が実際にあるのか?

現状の体力測定として、
今度のGWに「ゴールデンウィーク・マラソン」を走って確認をすることにする。
(そんな大会は存在しないので、勝手に一人で走るだけだが)(笑)

1週間連続でフルマラソンを走ったら、
体にどのような変化がおこるのかを実験してみようと思う。(笑)

開始2日目で肉離れをしてリタイアとかしたら、、、、、、
笑えない程の笑いものだが、、、、、、、

2週間後が楽しみ!

 

それでは、今後ともよろしくお願いします!

キリマンジャロ(アフリカ最高峰)

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このキリマンジャロ登山は、

僕がエベレスト・ティーチャーになるための初めの第一歩であり、

セブン・サミット挑戦の第一歩である。

とても重要な一歩であった。

今回のキリマンジャロ登山の目標は、

「憧れの山田淳さんと山頂で写真を取る」である。

ただキリマンジャロを登るだけではなく

ただ山田さんとキリマンジャロで会うだけでもなく

2つが山頂で重なって僕の中でのキリマンジャロ登山成功になる。

 

キリマンジャロ

キリマンジャロはタンザニアにある、アフリカ大陸最高峰(5,895m)の山で

セブン・サミットの一角である。

海外登山の登竜門として位置づけられており、

「誰でも挑戦できる世界で一番高い山」と呼ばれている。

しかし、登竜門と言えど標高は5000mを越え、

富士山よりも2000m以上高い山であり、

登るのには相当な覚悟と準備と体力が必要である。

 

山田さんとの出会い

山田さんは僕がセブン・サミットを志すきっかけとなった、雲の上の憧れの人である。

灘・東大・最年少七大陸最高峰登頂・マッキンゼー・フィールド&マウンテン起業

というスーパーマンを超えたハイパーマンである。

登山だけでなく、様々な分野で最高峰を登り続ける山田さんに憧れ,

どうしてもお会いしたくなった。

昨年の7月にHIS主催、山田さんガイドの富士山ツアーがあった。

僕はツアーに申し込み、首を長くして富士山登山を楽しみにしていた。

しかし、まさかの台風で富士山登山は中止となり、

山田さんに会うことはできなかった。

それから4ヶ月後の11月末に、HISから

「新宿で今年の富士山登山ツアーの忘年会をやります」というメールが届いた。

昨年はHIS主催の富士山ツアーは3回ぐらい開催されており、

総忘年会をやるそうだ。

台風で富士山に行ってない僕は、迷うことなく「参加します」と返事した。(笑)

そしてついに、富士山に登ってないけど山田さんに会うことができた。(笑)

なんと、年末にHIS主催の山田さんガイドのキリマンジャロツアーが開催される。

僕は仕事の都合上、このツアーとは日程が合わなかったので、

自力で行くことにしていた。

僕「今度年末に、キリマンジャロに登りに行くのでアフリカでよろしくお願いします」

山田さん「会うのが新宿からのアフリカ、おもろいな(笑)」

「新宿からのアフリカ」を合言葉に

キリマンジャロで山田さんに会えることになった。

 

スケジュール変更

スケジュールの変更でバタついてしまった。

当初、僕は山田さんガイドのキリマンジャロツアーが

開催されることを知らなかった。

なので自分でゆったりとしたスケジュールを作っていた。

僕がアフリカ遠征で使える日程は会社の正月休みの12月26日〜1月5日まで。

フライトは日本→キリマンジャロに直接行くよりも、

日本→ナイロビ→キリマンジャロと

ナイロビの陸路移動を経由したほうがかなり安いことを発見。

なので、当初計画は日本→ナイロビ→陸路でキリマンジャロという計画にしていた。

陸路のバスでケニアからタンザニアに行くのには3000円程で行ける。

しかし、山田さんのキリマンジャロツアーは12月24日に日本を出発し、

26日から登山を開始し、山頂アタックは30日の日程。

当初の計画では山田さん達に追いつけない。

僕が山田さん達に追いつくには、26日にキリマンジャロに到着して、

27日から登山を開始するしかなかった。

しかし、僕はすでに日本→←ナイロビの往復券を

エクスペディアで購入していたので、

このフライト間の日程・時間変更は一切できない。

だから、ナイロビ→キリマンジャロの陸路移動を

フライト移動に変更することにした。

フライトの日程は、25日の夜24時15分に日本を出発し、

カタール空港に、翌26日の現地時間の6時30分に着き、

6時間の待ち時間の後、カタール空港を12時30分に出発し

17時30分にナイロビ空港に到着する。

17時30分にナイロビに到着してから、

最短でキリマンジャロ空港に行けるフライトを探したのだが、

23時30分発の便しか見つからなかった。

この便では、ホテルの到着が深夜になってしまう。

登山開始が翌日からと考えると、もっと早くホテルに着きたい。

何かいい手がないかと考える、、、、

すると、カタールからナイロビに行く便を別に購入して、

カタール発を早くすれば、キリマンジャロに早く行けると考えた。

調べたら、7時30分にカタールを出発すれば、

キリマンジャロに18時に着く便を見つけた。

僕は時間をお金で買うことにし、このスケジュールにすることに決めた。

そして、25日に仕事が終わり、急いで羽田空港に向かい、チェックインすると

「お客様、大変申し訳無いのですが、エクスペディアで往復航空券を購入された場合は、途中のフライトを予定通りご利用頂けないと、帰りの便は使用できなくなります。」

「えっ!?!?!?!?」空港で凍りつく(笑)

僕はバカなので、この初歩的なエクスペディアルールを知らなかった。(笑)

僕は慌ててその場で、23時発→24時半着の便を予約し、出発へ(笑)

結局、ホテルへの到着は26日の深夜1時30分になってしまった。(笑)

 

ツアー交渉

しかし、山田さん達に追いつくには、次の日から登山を開始しなければならない。

キリマンジャロ登山はガイドと共に登るのが義務である。

つまり、ツアーを組まなければならない。

出発前に、日本から現地ツアー会社数社に見積を出してもらったのだが、

なかなか見積もりが合わず、自分で現地でガイドを見つけた方がいいと

元バックパッカー魂に火がついていた。

僕は深夜1時半にホテルにつくやいなや

僕「明日からキリマンジャロ登山を開始したいのだけど誰か紹介してくれない!?」

支配人「明日!?!?、、、OK、、、多分大丈夫、明日の朝に友達と交渉するから、

明日の朝7時にロビーに集合で大丈夫?」

僕「おっ!いけるんや(笑)、じゃあ明日の朝7時にお願いします」

約30時間、飛行機に拘束されていた僕は、

シャワーを浴びてベッドにつくやいなや爆睡へ。

そして、翌朝7時、ホテルのロビーへとキリマンジャロツアーの交渉をしに行く。

予め、現地ツアーのサービス内容や相場を調べていたので、

ある程度の基準を満たせていたらOKしようと決めていた。

そこに、「金のネックレスに金の腕時計」をしたツアー責任者が現れた。

でた!!(笑)絵に描いたようなアフリカンギャングスター!(笑)

「ヘイ!マイ・フレンド!」アフリカンギャングスターの説明が始まる。

しかし、見た目とは裏腹にツアー内容と価格はかなりいい(笑)

これはなにか裏があるのか、、、(笑)

時間がない僕は腹をくくって、「OK、今から出発しよう」と交渉は成立した。

 

キリマンジャロへ

ツアー交渉が成立し、いざ出発へ

まず、ガイドのデニスが合流し、道具チェックから食材調達へと準備を進めてくれる。

彼はまだ26歳ながらすでにキリマンジャロを300回登っている

三百戦錬磨の男であり、このキリマンジャロ登山は全て彼に託される。

次に、コックのジュニアが合流。陽気なムードメーカーの彼が料理を作ってくれる。

最後に、ポーターのムックが合流。力持ちの彼が、食材などを持ち運んでくれる。

そして、みんな揃ったところでホテルからキリマンジャロへ出発した。

 

キリマンジャロ登山対策

キリマンジャロ登山の成功のポイントは一点であった。

「高山病対策」

キリマンジャロが

「誰でも登ることができる」

ではなく

「誰でも挑戦できる世界で一番高い山」

と呼ばれるわけは、初心者でも登ることができるが、

登山ベテラン者でも高山病で登れない山だからである。

いかに、重度の高山病にならないようにするかがポイントであった。

まず、高山病について徹底的に調査した。

そして、対策法として大きく、①適切な薬の処方②体調管理

の二点が最重要であった。

まず、①薬に関しては、千駄ヶ谷インターナショナルクリニックの

篠塚先生に処方アドバイスをして頂き、万全の準備を備えた。

次に、②体調管理である。

高山病に関しては、百%高山病を抑える薬はない。

つまり、先天的な資質な部分も問われるのである。

だから、高山病は体調管理が非常に影響を与える。

体調管理をする上での最大の要点は睡眠である。

過密スケジュールでの挑戦となった僕には、

いかにアタック時までに良質な睡眠を取ることができるかが、

体調管理のカギを握ると考えた。

つまり、万全の薬を備えた上でのキリマンジャロ登山の成功のキーマンは

「睡眠」であった。

 

4泊5日のマラングルートで登山することに

キリマンジャロを登るルートは5本ほどあり、

その中でも最もポピュラーでメジャーなルートが

通称コカ・コーラルートとも呼ばれる「マラングルート」である。

このルートは通常、高度順応日を入れて、5泊6日で登るのが一般的であり

高度順応日を長くすればするほど、登頂できる確率は高くなる。

山田さん達のツアーはこのマラングルートの5泊6日の日程であった。

出発日が一日遅れの僕が山田さんと山頂で会うには、

高度順応日を飛ばして4泊5日で登るしかなかった。

30時間飛行機に拘束され深夜に到着し、翌朝から登山を開始して

高度順応日を飛ばして、山頂アタックへ挑戦。

この状況で4泊5日コースを選ぶのは、

はっきり言って自殺行為である。

しかし、僕はどうしても目標を達成したかった。

だからあえて、腹をくくってこのリスクに挑戦した。

 

キリマンジャロ一日目

マラングゲート(1,820M)からマランダハット(2,730M)へ

まず、スタート地点のマラングゲートから、

ゆるやかな樹林帯の道を抜けてマランダハットへと向かう

移動時間は約4時間。

急な坂道もなく、ゆるやかな斜面をハイキングするといった感じだ。

最初は、やっとキリマンジャロに挑戦できるといったワクワク感にかられ

楽しく歩き続けていたのだが、次第に寝不足で眠くなってしまう。

初日は眠気との戦いだった。

徹夜で勉強をして、眠気と闘いながら試験勉強をする感じだった(笑)

そんな眠気の中、4時間歩き続け、初日のキャンプ地マンダラハットへ到着した。

僕は山小屋に着くと、やっと眠れるとホッとし、ベットへ向かい爆睡した。

ご飯を食べる以外は常に、爆睡していた(笑)

そんな感じでキリマンジャロ一日目は終わった。

 

キリマンジャロ2日目

マンダラハット(2,730M)からホロンボハット(3,720M)へ

初日に終日爆睡していた僕は、

二日目の朝、デニスに起こされ、朝食を食べ出発の準備を始める。

二日目の日程は、次のキャンプ地ホロンボハットへと

壮大な峰を眺めながら、草原帯をハイキングする。

移動時間は約6時間。

初日に爆睡したおかげで、この日は快適にハイキングができた。

デニスやジュニアと話しながら歩く。

僕のチーム・キリマンジャロはみんな若いのもあってか

陽気で和気あいあいとした雰囲気である。

ベテランで堅苦しいチームでなく、

陽気でやるときはしっかりやる、メリハリがしっかりとした

このチームが僕にはフィットした。

そんな感じですごく気持ちよくハイキングしていた時に、

ずっと晴天だった天気が急に崩れ、雨が降りだした。

キリマンジャロは急に天気が変わるのだ

僕達は急いで、レインウェアを取り出した。

僕はデニスに「あとどのくらいで次のホロンボに着く?」と聞いた。

デニス「う〜ん、あと2時間ぐらい」

それからの2時間は、雨との戦いだった。

こんなに長い時間、雨に打たれて歩いた事がなかった。

そして、雨に打たれ歩き続けること2時間

やっと、2日目のキャンプ地ホロンボハットに到着した。

2日目は雨との戦いだった。

山小屋に着くと、もう雨に打たれないで済む安堵感でホッとした。

そこには、僕の他に日本人が二人いた。今回の山小屋は三人部屋だった。

軽く自己紹介をして判明したことがおもしろい。

一人目の鈴木さん48歳

「日本百名山を制覇した日本の山名人」

二人目の武田さん36歳

「トルデジアン(330kmの山道コースを150時間以内に完走)を完走した超人」

僕はとんでもないところに来てしまったなと思った。(笑)

と同時にワクワクした。

そして、ジュニアから夜ご飯の準備ができたとのことで、食堂へ。

食堂には高度順応で一日停滞していた、山田さん達がいた。

山田さんにやっとキリマンジャロで会えた。

ただ、僕の今回の目標は会うだけではない。

食堂でご飯を食べていると、

山頂にアタックして降りてきた日本人5人組の方々とご一緒になり、

話を色々と聞かせてもらうことができた。

一人以外は全員、山頂まで行けたとのことだった。

やはり、皆さん高山病対策をしっかりしていた。

しかし、女性陣はもう登山を二度としないとの感想だった。(笑)

高山病の話を聞くと、

「ここまでは大丈夫、次の山小屋から何かしら異変がある」とのこと。

僕はすでに今の山小屋(3,720m)にいるだけで不安だった、

なんせすでに富士山の高さにいるのだから。

しかし、今のところ何も調子の変化はなく。体調は快調である。

そして、2日目も食事の時間以外は爆睡することができた。

 

キリマンジャロ3日目

ホロンボハット(3,720M)からキボハット(4,703M)へ

2日目も爆睡していた僕は、準備をし次のキボハットへ向かう。

砂礫の道をゆっくりハイキングするコースである。

移動時間は6時間。

昨日の雨から、快晴に変わっており、すごく気持ちが良い。

山田さん達のツアー組とも、抜きつ抜かれつですれ違う。

すでに、富士山の高さを超えたところに来てしまった。

標高は4000mを超え、気温も徐々に低くなっていく。

景色の変動が少ない、砂礫のゆるやかな登り道が延々と続く。

そんな坦々とした道を歩くときは、

陽気なムードメーカーのジュニアがDJとなり、携帯で音楽をかけてくれる。

またその選曲のセンスが良く、坦々な道でも歩くのが楽しくなる。

まさか、キリマンジャロで2Pacと江南スタイルを聞くとは思わなかった(笑)

江南スタイルに至っては、何回もリピートしてもらった(笑)

いつも海外に行って思うことは、「音楽」のもつコミュニケーション力は

物凄い。英語が話せなくても、江南スタイルを歌えればコミュニケーションが

とれる。(笑)

と、坦々な道をワイワイしながら歩くこと6時間、

やっと最終キャンプ地キボハットへ到着した。

時刻は14時。

10時間後の夜24時に山頂へのアタックが始まる。

食事を済ませると、24時からの山頂アタックへ備え

眠る体制へと入った。

キリマンジャロ4日目

キボハット(4,703M)からウフル・ピーク(5,895M)へ

しかし、眠る準備に入ったのだが、少し頭痛と吐き気を感じ始めた。

僕は不安とショックにかられた。

なんせ初日から今までの間、

移動と食事以外の時間はほぼ爆睡することができていた。

つまり、いまのところ自分のできる最高の準備ができていたのだ。

それが、キボハットに到着してから体調に異変が起きた。

症状が更に悪化するのではないかという不安や

頭痛、吐き気で今まで通りに眠れない。

しかし、24時からの山頂アタックを始めたら、

12時間以上歩き続けなればならない。

これからが、キリマンジャロ登山の本番である。

成功するには、今からのアタック開始までの睡眠がカギを握る。

プレッシャーと頭痛で眠れない中、

僕は頭痛薬を飲んだ。

すると、頭痛が収まり、薬の副作用もあってか眠ることができた。

なんとか、アタック開始時間まで眠ることができた。

そして、デニスに起こされ、夜ご飯を食べ、アタックの準備を開始する。

なんと、起きたら。

寝る前にあれだけ、頭痛と吐き気で気持ち悪かったのが嘘のように

快調な状態になっていた。

なんとかできる範囲での準備はできたとホッとした。

そこに、山田さんが現れ

山田さん「どう体調は?頭痛はない?」

西「はい、それがさっきまで最悪だったんですが、今快調なんです」

山田さん「よかった、じゃあまた抜きつ抜かれつで頑張りましょう」

西「ありがとうございます、それではまた山頂でお会いしましょう」

と、声をかけて頂いた。

そして、僕は完全に登山スイッチが入った。

デニスと時間通りに24時からアタックを開始した。

当たりは真っ暗で気温は−10℃。

山頂までは6時間。

6時間、真っ暗闇の極寒の山を登り続ける。

さらに、斜面もかなりキツイ。

酸素も薄く、一歩一歩が物凄くきつい。

僕はデニスの後ろをゆっくりと進む。

アンダーウェアーとダウン2枚とレインウェア2枚を重ね着しても寒い。

ゆっくりと時間をかけ登り、

標高も4800m、4900mと徐々に上がっていく。

今のところ、体調に異常はない。

僕はホッとしていた、この調子が続けば、

後5時間我慢して登れば山頂にいける、と思った。

しかし、標高が5000mを超えたところから、

体調が急変した。頭痛と吐き気が強くなりだした。

出発前に竹内洋岳さん(日本人初の8000m峰全14座登頂)が

標高が4900mから5000mに変わった時に苦しそうにしている映像を見て、

そんなに5000mから世界が変わるのかと思っていた。

でも本当に5000mを越えてから、体調が悪化しだした。

休憩のペースも時間も上がっていく。

しかし、酸素が少なく意識がもうろうとし、頭痛と吐き気も悪化する。

体がなかなか動かない。というよりも動けない。

でもとにかく、足は動かさないとダメだと思った。

止まってはダメだと思った。

しかし、吐き気で完全に動けなくなった。

僕は急いで、緊急用の吐き気止め薬を飲んだ。

そして、また登り始める。

吐き気が限界に達し、僕はおもいっきり吐いた。

デニスが「吐くのは問題ない、大丈夫」

と言ってくれ、安心した。

おもいっきり吐いた僕は、吐き気から開放された。

吐き気から開放されるだけでも随分と変わってくる。

しかし、上り道は更に急になり、厳しくなっていく。

酸素が極薄の中で、急な上り坂を登るのはかなりキツイ。

そんな中、意識がもうろうとしながらゆっくりゆっくりと登り続ける。

登り続けると同時に、先に登りを開始していた

登山者が高山病で動けなくなり、一人、、、また一人、、、と降りてくる。

キリマンジャロ登山の厳しさを物語っていた。

高山病で降りてくる方々とすれ違う度に、

いつ自分も同じ状態になり、

降りなければならなくなるのかと考え、恐怖心に襲われる。

微かでも、ゆっくりと登る。

僕の口癖は「後どのくらいで着く?」

になっていた。

5分に一回はデニスに聞いていた。

デニスの返答が「後2時間、後1時間半、後1時間、後30分」

と少なくなっていく。

そしてついに、第一の登頂ポイントのギルマンズポイントに到着した。

少しホッとしたが、僕が目指すのは頂上のウフルピークである。

僕「後どのくらい?」と聞く。

デニス「ここから2時間ぐらい」

僕「まだ後2時間あるの、、、、、?」

ここまで来て、まだ更に後2時間登らないといけないことに少しへこんだ。

デニス「大丈夫、ここからの道は緩やかだから」

もう、ここまできたら、キツさも、頭痛も、吐き気も

どうでもよくなる。ぶっ倒れるまで登るしかない。

僕はまた気合が入った。

そこからまた、僕の口癖の「後どのくらい?」病が始まる。

デニス「後1時間半」

「後1時間」

「後50分」

「後40分」

「後30分」

「後10分」

「後5分」

すると、もう「後どのくらい?」と聞かなくても

はっきりと頂上が見えてきた。

そして、ついにキリマンジャロの頂上のウフルピークへ到着することができた。

僕はウフルピークに着くやいなやぶっ倒れて、動けなくなった。

正直、頂上に着いた達成感よりも、

もうこれ以上、山を登らなくてもいいという安堵感で動けなくなった。

もう登らなくて済むことが、本当に嬉しかった。

本当にここまで来るまでのことを考えたら、感動だった。

登山の醍醐味をこの時に解かった。

当たりはまだ暗い、吐きながら死にながら登ってきた割には

予定時間よりも早く到着していた。

日が昇り、あたりが明るくなるまで

ずっとウフルピークで動けなった。

日が昇りやっと、記念写真がとれた。

IMG_1170

写真を撮り終わると、

僕は今から挑戦が始まるんだなと気が引き締まった。

このキリマンジャロ登頂から挑戦が始まる。

そんな、余韻に浸っている僕にデニスから衝撃的な一言が!

デニス「おい、ヒデ、まだ6時10分だよ、ここからホテルに帰るのに挑戦しない?」

本来の日程は、4泊5日であり、この後山小屋に戻って、一晩寝てから

ホテルに帰るのが当初の計画であり、常識である。

僕は唐突な彼の質問を受け、

ホテルのシャワーとふかふかのベッドを想像してしまった。

こんな極限な状況で、ホテルのシャワーとベッドを想像してしまった僕は、

僕「イ、イ、YES!」

デニスのムチャぶりに乗ってしまった(笑)

 

キリマンジャロ4日目

まさかのウフルピーク(5,895M)からホテル(0M)へ

ウフルピークの頂上の次はホテルが次の目的地になった僕達は、

ウフルピークを後に下山を始めた。

あれだけ、きつかった道が、下りだと、違う道に見える。

また、ギルマンズポイントへと到着した。

そこには、山田さんがいた。

山田さんはギルマンズポイントでストップしたツアーの方と待機していた。

山田さん「ウフルピーク行けた?」

西「はい、行けました。死ぬほどきつくて、死ぬほど楽しかったです」

山田さん「洗礼を浴びたね、ドMやねー(笑)」

西「すいません、写真撮って頂けますか?」

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これで、僕の本当のキリマンジャロ登山の目標が達成された。

山田さん「次はどこに行くの、アコン?」

西「先にエルブルースに行ってアコンに行く予定です」

山田さん「たぶん、またアコンで洗礼を浴びるんで頑張って!」

この瞬間を楽しみに、キリマンジャロ登山を頑張ってきたので本当に嬉しかった。

そして、また下山が始まった。

下山して思ったのが、よくこんなところ登ってきたなという感想だった。

登っている時は真っ暗で、意識ももうろうとしていたので、わからなかったが

明るくなって冷静に見てみると、物凄いところだった。

下山は目標達成感に浸され、あっという間にキボハットに到着した。

キボハットから一気にマラングゲートまで下山するのに備え、

1時間半ぐらい山小屋で寝てから、また下山を始めた。

ジュニアとムックとも合流した。

二人に今からホテルに帰ることを伝えると、

「えっほんと!?よし帰ろう!」

とビックリした様子でテンションが上がっていた。

個人的にホテルのふかふかベッドに一刻も早く帰りたいのもあるが、

この年末に少しでも早く、チームのみんなに家に帰ってほしかった。

少しでもチームに恩返しがしたかった。

それから、みんなで下山が始まった。

登りで16時間かけて登って来た道を6時間ぐらいで、下る。

初めのうちは、「あれ結構いけるもんだな」と思ったのだが、

徐々に足がパンパンになってくる(笑)

この感覚は、もう止まったらと足が動かなくなると感じた。

それから、ノンストップで下山した。

もちろん下山の時も、僕の「後どのくらい?」病は治らなかった。

ノンストップで下ること約6時間、

ついにマラングゲートに到着した。

こうして、キリマンジャロ登山はまさかの3泊4日で幕を閉じた。

後は、車でホテルまで帰るだけ。

ジュニアとムックとは先に別れた。

短い間だったが、修羅場を一緒に戦った仲間と別れるのは寂しくなる。

ホテルに戻った僕は、デニスと打ち上げをすることした。

デニスがイタリアン料理屋を紹介してくれた。

ビールはキリマンジャロで乾杯。

イタリアン料理屋で食べるのに、

チキン&チップスを頼むのがデニスらしくアフリカ人らしかった。

打ち上げが終えると、デニスが明日、家に遊びにこいと誘ってくれた。

デニスは短い間ではあるが、共に修羅場を戦い、

助けてくれた親友であり恩人である。

家に誘ってくれて、お父さんとお母さんに会わせてくれた時は、

とても嬉しかった。本当にガイドがデニスでよかったと思った。

そして、別れは本当に寂しかった。

今回のキリマンジャロ登山を経験し、本当に良い経験をした。

キリマンジャロの頂上に着くまでに、多くの方々にご迷惑をおかけし、

多くの方々の応援があった。

登山がただ頂上に登るだけではないものだとわかった。

それと同時に頂上に登った時の喜びと感動も味わった。

今回は個人的な無茶な目標のために、リスクをかかえた日程に挑戦し、

たまたま、運が良く登れただけであった。

しかし、これから挑戦していく山にはもう通用しない。

これからの山は、無茶な判断ミスが命に関わってくる。

そう肝に命じて、次の山に挑戦していきたいと思う。

次は、8月にヨーロッパ最高峰のエルブルースに挑戦する予定である。

エベレストを夢から目標に変えるためにも、

一つ一つの山をしっかり準備をして挑戦していきたいと思う。

 

 

EVEREST TEACHER

なぜエベレストティーチャー???

単細胞で馬鹿な僕の脳には、シンプルにやりたいことが重なった。

やりたいこと=エベレストに登りたい

やりたいこと=教師になりたい

しかし、単にエベレストに登る・教師になるだけではいまいちおもしろくない。

そんな時に、このシンプルな答えをミックスしたら衝撃が走った。

エベレスト×教師=エベレスト・ティーチャー=∞におもしろい!!!

 

なぜエベレスト???

学生時代に世界一周をして、最終で最大の目的地マチュ・ピチュに登った時

これで、僕の冒険心は満たされ、終わると思っていた。

しかし、馬鹿な僕の頭には、ふと「エベレスト」がよぎった。

世界一の遺産の次は世界一の山に登りたい。

そう思ってしまった。

それから、どうやって社会人としてエベレストに登るかをモヤモヤ考え続けた。

社会人としての様々な常識や制約がエベレストから遠ざける。

端的に「時間」と「お金」が必要である。

今の日本でその仕組を作るのは難しい、

僕は色々と複雑に考えすぎていたのかもしれない。

しかし、ならばより可能性の高い海外にでるしかない

僕は海外に出た。

 

なぜ教師???

しかし、日本の大企業から急に海外に飛び出した

意味のわからない僕に周りはついてこれなかった。

特に家族は意味がわからない状態へとなっていた。

僕の家族は、ごく普通の地方のクレヨンしんちゃんみたいな家族である。

明らかに僕の価値観と家族の価値観は大きくずれていた。

そして、この大きなズレは大きな負荷を家族に与えていた。

僕はこの時に「親子文化」の重要性に気づいた。

しかし、僕にはベトナムでできた、恩師と仲間がいる。

何もできない僕を迎え入れてくれた4p`sに、

成長して、恩返ししていきたかった。

僕は本気で海外で勝負しようと決意していた。

しかし、その決意が強くなればなるほど、

「親子文化」の重要性の重みが、身にふりかかる。

わけがわからなくなった僕は、家族を選んでしまった。

この決断は、本当に大きな決断であり、大きな挫折でもあった。

この「親子文化」は急に変えていけるものではないと思った。

しかし、これからは、

「テクノロジーの進化、少子高齢化、人口減少、新興国の急成長」など、

様々な要素により、日本を取り巻く環境は変化していく。

そのような、環境の変化と同時に

「親子文化」も少しづつ環境の変化に適応していく必要がある。

その時、僕と同じような悩みをもつような人が現れるかもしれないと思った。

そして、日本で教師になりたいと思った。

 

教師としてエベレストに挑戦する意味

「夢を持て」「努力をしろ」「好きなことみつけなさい」

と大人は子供によく言う。

僕は「みんな違ってみんないい」と思う。

なので、考え方や価値観は多様でいい。

でも、上記のような言葉をもし子供に投げかける必要がある時に、

少しでも説得力のある、大人になりたいと思う。

だからエベレストに挑戦する。

というよりも、単に自分がエベレストのことを考えるのが楽しいだけである。

子供から見て「あの人なんか楽しそうに生きているな」と思われたら、

それだけでいい。

今の僕の中で、楽しく生きる原動力は「エベレスト」の夢を楽しむことである。

そんなシンプルな理由である。