キリマンジャロ(アフリカ最高峰)

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このキリマンジャロ登山は、

僕がエベレスト・ティーチャーになるための初めの第一歩であり、

セブン・サミット挑戦の第一歩である。

とても重要な一歩であった。

今回のキリマンジャロ登山の目標は、

「憧れの山田淳さんと山頂で写真を取る」である。

ただキリマンジャロを登るだけではなく

ただ山田さんとキリマンジャロで会うだけでもなく

2つが山頂で重なって僕の中でのキリマンジャロ登山成功になる。

 

キリマンジャロ

キリマンジャロはタンザニアにある、アフリカ大陸最高峰(5,895m)の山で

セブン・サミットの一角である。

海外登山の登竜門として位置づけられており、

「誰でも挑戦できる世界で一番高い山」と呼ばれている。

しかし、登竜門と言えど標高は5000mを越え、

富士山よりも2000m以上高い山であり、

登るのには相当な覚悟と準備と体力が必要である。

 

山田さんとの出会い

山田さんは僕がセブン・サミットを志すきっかけとなった、雲の上の憧れの人である。

灘・東大・最年少七大陸最高峰登頂・マッキンゼー・フィールド&マウンテン起業

というスーパーマンを超えたハイパーマンである。

登山だけでなく、様々な分野で最高峰を登り続ける山田さんに憧れ,

どうしてもお会いしたくなった。

昨年の7月にHIS主催、山田さんガイドの富士山ツアーがあった。

僕はツアーに申し込み、首を長くして富士山登山を楽しみにしていた。

しかし、まさかの台風で富士山登山は中止となり、

山田さんに会うことはできなかった。

それから4ヶ月後の11月末に、HISから

「新宿で今年の富士山登山ツアーの忘年会をやります」というメールが届いた。

昨年はHIS主催の富士山ツアーは3回ぐらい開催されており、

総忘年会をやるそうだ。

台風で富士山に行ってない僕は、迷うことなく「参加します」と返事した。(笑)

そしてついに、富士山に登ってないけど山田さんに会うことができた。(笑)

なんと、年末にHIS主催の山田さんガイドのキリマンジャロツアーが開催される。

僕は仕事の都合上、このツアーとは日程が合わなかったので、

自力で行くことにしていた。

僕「今度年末に、キリマンジャロに登りに行くのでアフリカでよろしくお願いします」

山田さん「会うのが新宿からのアフリカ、おもろいな(笑)」

「新宿からのアフリカ」を合言葉に

キリマンジャロで山田さんに会えることになった。

 

スケジュール変更

スケジュールの変更でバタついてしまった。

当初、僕は山田さんガイドのキリマンジャロツアーが

開催されることを知らなかった。

なので自分でゆったりとしたスケジュールを作っていた。

僕がアフリカ遠征で使える日程は会社の正月休みの12月26日〜1月5日まで。

フライトは日本→キリマンジャロに直接行くよりも、

日本→ナイロビ→キリマンジャロと

ナイロビの陸路移動を経由したほうがかなり安いことを発見。

なので、当初計画は日本→ナイロビ→陸路でキリマンジャロという計画にしていた。

陸路のバスでケニアからタンザニアに行くのには3000円程で行ける。

しかし、山田さんのキリマンジャロツアーは12月24日に日本を出発し、

26日から登山を開始し、山頂アタックは30日の日程。

当初の計画では山田さん達に追いつけない。

僕が山田さん達に追いつくには、26日にキリマンジャロに到着して、

27日から登山を開始するしかなかった。

しかし、僕はすでに日本→←ナイロビの往復券を

エクスペディアで購入していたので、

このフライト間の日程・時間変更は一切できない。

だから、ナイロビ→キリマンジャロの陸路移動を

フライト移動に変更することにした。

フライトの日程は、25日の夜24時15分に日本を出発し、

カタール空港に、翌26日の現地時間の6時30分に着き、

6時間の待ち時間の後、カタール空港を12時30分に出発し

17時30分にナイロビ空港に到着する。

17時30分にナイロビに到着してから、

最短でキリマンジャロ空港に行けるフライトを探したのだが、

23時30分発の便しか見つからなかった。

この便では、ホテルの到着が深夜になってしまう。

登山開始が翌日からと考えると、もっと早くホテルに着きたい。

何かいい手がないかと考える、、、、

すると、カタールからナイロビに行く便を別に購入して、

カタール発を早くすれば、キリマンジャロに早く行けると考えた。

調べたら、7時30分にカタールを出発すれば、

キリマンジャロに18時に着く便を見つけた。

僕は時間をお金で買うことにし、このスケジュールにすることに決めた。

そして、25日に仕事が終わり、急いで羽田空港に向かい、チェックインすると

「お客様、大変申し訳無いのですが、エクスペディアで往復航空券を購入された場合は、途中のフライトを予定通りご利用頂けないと、帰りの便は使用できなくなります。」

「えっ!?!?!?!?」空港で凍りつく(笑)

僕はバカなので、この初歩的なエクスペディアルールを知らなかった。(笑)

僕は慌ててその場で、23時発→24時半着の便を予約し、出発へ(笑)

結局、ホテルへの到着は26日の深夜1時30分になってしまった。(笑)

 

ツアー交渉

しかし、山田さん達に追いつくには、次の日から登山を開始しなければならない。

キリマンジャロ登山はガイドと共に登るのが義務である。

つまり、ツアーを組まなければならない。

出発前に、日本から現地ツアー会社数社に見積を出してもらったのだが、

なかなか見積もりが合わず、自分で現地でガイドを見つけた方がいいと

元バックパッカー魂に火がついていた。

僕は深夜1時半にホテルにつくやいなや

僕「明日からキリマンジャロ登山を開始したいのだけど誰か紹介してくれない!?」

支配人「明日!?!?、、、OK、、、多分大丈夫、明日の朝に友達と交渉するから、

明日の朝7時にロビーに集合で大丈夫?」

僕「おっ!いけるんや(笑)、じゃあ明日の朝7時にお願いします」

約30時間、飛行機に拘束されていた僕は、

シャワーを浴びてベッドにつくやいなや爆睡へ。

そして、翌朝7時、ホテルのロビーへとキリマンジャロツアーの交渉をしに行く。

予め、現地ツアーのサービス内容や相場を調べていたので、

ある程度の基準を満たせていたらOKしようと決めていた。

そこに、「金のネックレスに金の腕時計」をしたツアー責任者が現れた。

でた!!(笑)絵に描いたようなアフリカンギャングスター!(笑)

「ヘイ!マイ・フレンド!」アフリカンギャングスターの説明が始まる。

しかし、見た目とは裏腹にツアー内容と価格はかなりいい(笑)

これはなにか裏があるのか、、、(笑)

時間がない僕は腹をくくって、「OK、今から出発しよう」と交渉は成立した。

 

キリマンジャロへ

ツアー交渉が成立し、いざ出発へ

まず、ガイドのデニスが合流し、道具チェックから食材調達へと準備を進めてくれる。

彼はまだ26歳ながらすでにキリマンジャロを300回登っている

三百戦錬磨の男であり、このキリマンジャロ登山は全て彼に託される。

次に、コックのジュニアが合流。陽気なムードメーカーの彼が料理を作ってくれる。

最後に、ポーターのムックが合流。力持ちの彼が、食材などを持ち運んでくれる。

そして、みんな揃ったところでホテルからキリマンジャロへ出発した。

 

キリマンジャロ登山対策

キリマンジャロ登山の成功のポイントは一点であった。

「高山病対策」

キリマンジャロが

「誰でも登ることができる」

ではなく

「誰でも挑戦できる世界で一番高い山」

と呼ばれるわけは、初心者でも登ることができるが、

登山ベテラン者でも高山病で登れない山だからである。

いかに、重度の高山病にならないようにするかがポイントであった。

まず、高山病について徹底的に調査した。

そして、対策法として大きく、①適切な薬の処方②体調管理

の二点が最重要であった。

まず、①薬に関しては、千駄ヶ谷インターナショナルクリニックの

篠塚先生に処方アドバイスをして頂き、万全の準備を備えた。

次に、②体調管理である。

高山病に関しては、百%高山病を抑える薬はない。

つまり、先天的な資質な部分も問われるのである。

だから、高山病は体調管理が非常に影響を与える。

体調管理をする上での最大の要点は睡眠である。

過密スケジュールでの挑戦となった僕には、

いかにアタック時までに良質な睡眠を取ることができるかが、

体調管理のカギを握ると考えた。

つまり、万全の薬を備えた上でのキリマンジャロ登山の成功のキーマンは

「睡眠」であった。

 

4泊5日のマラングルートで登山することに

キリマンジャロを登るルートは5本ほどあり、

その中でも最もポピュラーでメジャーなルートが

通称コカ・コーラルートとも呼ばれる「マラングルート」である。

このルートは通常、高度順応日を入れて、5泊6日で登るのが一般的であり

高度順応日を長くすればするほど、登頂できる確率は高くなる。

山田さん達のツアーはこのマラングルートの5泊6日の日程であった。

出発日が一日遅れの僕が山田さんと山頂で会うには、

高度順応日を飛ばして4泊5日で登るしかなかった。

30時間飛行機に拘束され深夜に到着し、翌朝から登山を開始して

高度順応日を飛ばして、山頂アタックへ挑戦。

この状況で4泊5日コースを選ぶのは、

はっきり言って自殺行為である。

しかし、僕はどうしても目標を達成したかった。

だからあえて、腹をくくってこのリスクに挑戦した。

 

キリマンジャロ一日目

マラングゲート(1,820M)からマランダハット(2,730M)へ

まず、スタート地点のマラングゲートから、

ゆるやかな樹林帯の道を抜けてマランダハットへと向かう

移動時間は約4時間。

急な坂道もなく、ゆるやかな斜面をハイキングするといった感じだ。

最初は、やっとキリマンジャロに挑戦できるといったワクワク感にかられ

楽しく歩き続けていたのだが、次第に寝不足で眠くなってしまう。

初日は眠気との戦いだった。

徹夜で勉強をして、眠気と闘いながら試験勉強をする感じだった(笑)

そんな眠気の中、4時間歩き続け、初日のキャンプ地マンダラハットへ到着した。

僕は山小屋に着くと、やっと眠れるとホッとし、ベットへ向かい爆睡した。

ご飯を食べる以外は常に、爆睡していた(笑)

そんな感じでキリマンジャロ一日目は終わった。

 

キリマンジャロ2日目

マンダラハット(2,730M)からホロンボハット(3,720M)へ

初日に終日爆睡していた僕は、

二日目の朝、デニスに起こされ、朝食を食べ出発の準備を始める。

二日目の日程は、次のキャンプ地ホロンボハットへと

壮大な峰を眺めながら、草原帯をハイキングする。

移動時間は約6時間。

初日に爆睡したおかげで、この日は快適にハイキングができた。

デニスやジュニアと話しながら歩く。

僕のチーム・キリマンジャロはみんな若いのもあってか

陽気で和気あいあいとした雰囲気である。

ベテランで堅苦しいチームでなく、

陽気でやるときはしっかりやる、メリハリがしっかりとした

このチームが僕にはフィットした。

そんな感じですごく気持ちよくハイキングしていた時に、

ずっと晴天だった天気が急に崩れ、雨が降りだした。

キリマンジャロは急に天気が変わるのだ

僕達は急いで、レインウェアを取り出した。

僕はデニスに「あとどのくらいで次のホロンボに着く?」と聞いた。

デニス「う〜ん、あと2時間ぐらい」

それからの2時間は、雨との戦いだった。

こんなに長い時間、雨に打たれて歩いた事がなかった。

そして、雨に打たれ歩き続けること2時間

やっと、2日目のキャンプ地ホロンボハットに到着した。

2日目は雨との戦いだった。

山小屋に着くと、もう雨に打たれないで済む安堵感でホッとした。

そこには、僕の他に日本人が二人いた。今回の山小屋は三人部屋だった。

軽く自己紹介をして判明したことがおもしろい。

一人目の鈴木さん48歳

「日本百名山を制覇した日本の山名人」

二人目の武田さん36歳

「トルデジアン(330kmの山道コースを150時間以内に完走)を完走した超人」

僕はとんでもないところに来てしまったなと思った。(笑)

と同時にワクワクした。

そして、ジュニアから夜ご飯の準備ができたとのことで、食堂へ。

食堂には高度順応で一日停滞していた、山田さん達がいた。

山田さんにやっとキリマンジャロで会えた。

ただ、僕の今回の目標は会うだけではない。

食堂でご飯を食べていると、

山頂にアタックして降りてきた日本人5人組の方々とご一緒になり、

話を色々と聞かせてもらうことができた。

一人以外は全員、山頂まで行けたとのことだった。

やはり、皆さん高山病対策をしっかりしていた。

しかし、女性陣はもう登山を二度としないとの感想だった。(笑)

高山病の話を聞くと、

「ここまでは大丈夫、次の山小屋から何かしら異変がある」とのこと。

僕はすでに今の山小屋(3,720m)にいるだけで不安だった、

なんせすでに富士山の高さにいるのだから。

しかし、今のところ何も調子の変化はなく。体調は快調である。

そして、2日目も食事の時間以外は爆睡することができた。

 

キリマンジャロ3日目

ホロンボハット(3,720M)からキボハット(4,703M)へ

2日目も爆睡していた僕は、準備をし次のキボハットへ向かう。

砂礫の道をゆっくりハイキングするコースである。

移動時間は6時間。

昨日の雨から、快晴に変わっており、すごく気持ちが良い。

山田さん達のツアー組とも、抜きつ抜かれつですれ違う。

すでに、富士山の高さを超えたところに来てしまった。

標高は4000mを超え、気温も徐々に低くなっていく。

景色の変動が少ない、砂礫のゆるやかな登り道が延々と続く。

そんな坦々とした道を歩くときは、

陽気なムードメーカーのジュニアがDJとなり、携帯で音楽をかけてくれる。

またその選曲のセンスが良く、坦々な道でも歩くのが楽しくなる。

まさか、キリマンジャロで2Pacと江南スタイルを聞くとは思わなかった(笑)

江南スタイルに至っては、何回もリピートしてもらった(笑)

いつも海外に行って思うことは、「音楽」のもつコミュニケーション力は

物凄い。英語が話せなくても、江南スタイルを歌えればコミュニケーションが

とれる。(笑)

と、坦々な道をワイワイしながら歩くこと6時間、

やっと最終キャンプ地キボハットへ到着した。

時刻は14時。

10時間後の夜24時に山頂へのアタックが始まる。

食事を済ませると、24時からの山頂アタックへ備え

眠る体制へと入った。

キリマンジャロ4日目

キボハット(4,703M)からウフル・ピーク(5,895M)へ

しかし、眠る準備に入ったのだが、少し頭痛と吐き気を感じ始めた。

僕は不安とショックにかられた。

なんせ初日から今までの間、

移動と食事以外の時間はほぼ爆睡することができていた。

つまり、いまのところ自分のできる最高の準備ができていたのだ。

それが、キボハットに到着してから体調に異変が起きた。

症状が更に悪化するのではないかという不安や

頭痛、吐き気で今まで通りに眠れない。

しかし、24時からの山頂アタックを始めたら、

12時間以上歩き続けなればならない。

これからが、キリマンジャロ登山の本番である。

成功するには、今からのアタック開始までの睡眠がカギを握る。

プレッシャーと頭痛で眠れない中、

僕は頭痛薬を飲んだ。

すると、頭痛が収まり、薬の副作用もあってか眠ることができた。

なんとか、アタック開始時間まで眠ることができた。

そして、デニスに起こされ、夜ご飯を食べ、アタックの準備を開始する。

なんと、起きたら。

寝る前にあれだけ、頭痛と吐き気で気持ち悪かったのが嘘のように

快調な状態になっていた。

なんとかできる範囲での準備はできたとホッとした。

そこに、山田さんが現れ

山田さん「どう体調は?頭痛はない?」

西「はい、それがさっきまで最悪だったんですが、今快調なんです」

山田さん「よかった、じゃあまた抜きつ抜かれつで頑張りましょう」

西「ありがとうございます、それではまた山頂でお会いしましょう」

と、声をかけて頂いた。

そして、僕は完全に登山スイッチが入った。

デニスと時間通りに24時からアタックを開始した。

当たりは真っ暗で気温は−10℃。

山頂までは6時間。

6時間、真っ暗闇の極寒の山を登り続ける。

さらに、斜面もかなりキツイ。

酸素も薄く、一歩一歩が物凄くきつい。

僕はデニスの後ろをゆっくりと進む。

アンダーウェアーとダウン2枚とレインウェア2枚を重ね着しても寒い。

ゆっくりと時間をかけ登り、

標高も4800m、4900mと徐々に上がっていく。

今のところ、体調に異常はない。

僕はホッとしていた、この調子が続けば、

後5時間我慢して登れば山頂にいける、と思った。

しかし、標高が5000mを超えたところから、

体調が急変した。頭痛と吐き気が強くなりだした。

出発前に竹内洋岳さん(日本人初の8000m峰全14座登頂)が

標高が4900mから5000mに変わった時に苦しそうにしている映像を見て、

そんなに5000mから世界が変わるのかと思っていた。

でも本当に5000mを越えてから、体調が悪化しだした。

休憩のペースも時間も上がっていく。

しかし、酸素が少なく意識がもうろうとし、頭痛と吐き気も悪化する。

体がなかなか動かない。というよりも動けない。

でもとにかく、足は動かさないとダメだと思った。

止まってはダメだと思った。

しかし、吐き気で完全に動けなくなった。

僕は急いで、緊急用の吐き気止め薬を飲んだ。

そして、また登り始める。

吐き気が限界に達し、僕はおもいっきり吐いた。

デニスが「吐くのは問題ない、大丈夫」

と言ってくれ、安心した。

おもいっきり吐いた僕は、吐き気から開放された。

吐き気から開放されるだけでも随分と変わってくる。

しかし、上り道は更に急になり、厳しくなっていく。

酸素が極薄の中で、急な上り坂を登るのはかなりキツイ。

そんな中、意識がもうろうとしながらゆっくりゆっくりと登り続ける。

登り続けると同時に、先に登りを開始していた

登山者が高山病で動けなくなり、一人、、、また一人、、、と降りてくる。

キリマンジャロ登山の厳しさを物語っていた。

高山病で降りてくる方々とすれ違う度に、

いつ自分も同じ状態になり、

降りなければならなくなるのかと考え、恐怖心に襲われる。

微かでも、ゆっくりと登る。

僕の口癖は「後どのくらいで着く?」

になっていた。

5分に一回はデニスに聞いていた。

デニスの返答が「後2時間、後1時間半、後1時間、後30分」

と少なくなっていく。

そしてついに、第一の登頂ポイントのギルマンズポイントに到着した。

少しホッとしたが、僕が目指すのは頂上のウフルピークである。

僕「後どのくらい?」と聞く。

デニス「ここから2時間ぐらい」

僕「まだ後2時間あるの、、、、、?」

ここまで来て、まだ更に後2時間登らないといけないことに少しへこんだ。

デニス「大丈夫、ここからの道は緩やかだから」

もう、ここまできたら、キツさも、頭痛も、吐き気も

どうでもよくなる。ぶっ倒れるまで登るしかない。

僕はまた気合が入った。

そこからまた、僕の口癖の「後どのくらい?」病が始まる。

デニス「後1時間半」

「後1時間」

「後50分」

「後40分」

「後30分」

「後10分」

「後5分」

すると、もう「後どのくらい?」と聞かなくても

はっきりと頂上が見えてきた。

そして、ついにキリマンジャロの頂上のウフルピークへ到着することができた。

僕はウフルピークに着くやいなやぶっ倒れて、動けなくなった。

正直、頂上に着いた達成感よりも、

もうこれ以上、山を登らなくてもいいという安堵感で動けなくなった。

もう登らなくて済むことが、本当に嬉しかった。

本当にここまで来るまでのことを考えたら、感動だった。

登山の醍醐味をこの時に解かった。

当たりはまだ暗い、吐きながら死にながら登ってきた割には

予定時間よりも早く到着していた。

日が昇り、あたりが明るくなるまで

ずっとウフルピークで動けなった。

日が昇りやっと、記念写真がとれた。

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写真を撮り終わると、

僕は今から挑戦が始まるんだなと気が引き締まった。

このキリマンジャロ登頂から挑戦が始まる。

そんな、余韻に浸っている僕にデニスから衝撃的な一言が!

デニス「おい、ヒデ、まだ6時10分だよ、ここからホテルに帰るのに挑戦しない?」

本来の日程は、4泊5日であり、この後山小屋に戻って、一晩寝てから

ホテルに帰るのが当初の計画であり、常識である。

僕は唐突な彼の質問を受け、

ホテルのシャワーとふかふかのベッドを想像してしまった。

こんな極限な状況で、ホテルのシャワーとベッドを想像してしまった僕は、

僕「イ、イ、YES!」

デニスのムチャぶりに乗ってしまった(笑)

 

キリマンジャロ4日目

まさかのウフルピーク(5,895M)からホテル(0M)へ

ウフルピークの頂上の次はホテルが次の目的地になった僕達は、

ウフルピークを後に下山を始めた。

あれだけ、きつかった道が、下りだと、違う道に見える。

また、ギルマンズポイントへと到着した。

そこには、山田さんがいた。

山田さんはギルマンズポイントでストップしたツアーの方と待機していた。

山田さん「ウフルピーク行けた?」

西「はい、行けました。死ぬほどきつくて、死ぬほど楽しかったです」

山田さん「洗礼を浴びたね、ドMやねー(笑)」

西「すいません、写真撮って頂けますか?」

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これで、僕の本当のキリマンジャロ登山の目標が達成された。

山田さん「次はどこに行くの、アコン?」

西「先にエルブルースに行ってアコンに行く予定です」

山田さん「たぶん、またアコンで洗礼を浴びるんで頑張って!」

この瞬間を楽しみに、キリマンジャロ登山を頑張ってきたので本当に嬉しかった。

そして、また下山が始まった。

下山して思ったのが、よくこんなところ登ってきたなという感想だった。

登っている時は真っ暗で、意識ももうろうとしていたので、わからなかったが

明るくなって冷静に見てみると、物凄いところだった。

下山は目標達成感に浸され、あっという間にキボハットに到着した。

キボハットから一気にマラングゲートまで下山するのに備え、

1時間半ぐらい山小屋で寝てから、また下山を始めた。

ジュニアとムックとも合流した。

二人に今からホテルに帰ることを伝えると、

「えっほんと!?よし帰ろう!」

とビックリした様子でテンションが上がっていた。

個人的にホテルのふかふかベッドに一刻も早く帰りたいのもあるが、

この年末に少しでも早く、チームのみんなに家に帰ってほしかった。

少しでもチームに恩返しがしたかった。

それから、みんなで下山が始まった。

登りで16時間かけて登って来た道を6時間ぐらいで、下る。

初めのうちは、「あれ結構いけるもんだな」と思ったのだが、

徐々に足がパンパンになってくる(笑)

この感覚は、もう止まったらと足が動かなくなると感じた。

それから、ノンストップで下山した。

もちろん下山の時も、僕の「後どのくらい?」病は治らなかった。

ノンストップで下ること約6時間、

ついにマラングゲートに到着した。

こうして、キリマンジャロ登山はまさかの3泊4日で幕を閉じた。

後は、車でホテルまで帰るだけ。

ジュニアとムックとは先に別れた。

短い間だったが、修羅場を一緒に戦った仲間と別れるのは寂しくなる。

ホテルに戻った僕は、デニスと打ち上げをすることした。

デニスがイタリアン料理屋を紹介してくれた。

ビールはキリマンジャロで乾杯。

イタリアン料理屋で食べるのに、

チキン&チップスを頼むのがデニスらしくアフリカ人らしかった。

打ち上げが終えると、デニスが明日、家に遊びにこいと誘ってくれた。

デニスは短い間ではあるが、共に修羅場を戦い、

助けてくれた親友であり恩人である。

家に誘ってくれて、お父さんとお母さんに会わせてくれた時は、

とても嬉しかった。本当にガイドがデニスでよかったと思った。

そして、別れは本当に寂しかった。

今回のキリマンジャロ登山を経験し、本当に良い経験をした。

キリマンジャロの頂上に着くまでに、多くの方々にご迷惑をおかけし、

多くの方々の応援があった。

登山がただ頂上に登るだけではないものだとわかった。

それと同時に頂上に登った時の喜びと感動も味わった。

今回は個人的な無茶な目標のために、リスクをかかえた日程に挑戦し、

たまたま、運が良く登れただけであった。

しかし、これから挑戦していく山にはもう通用しない。

これからの山は、無茶な判断ミスが命に関わってくる。

そう肝に命じて、次の山に挑戦していきたいと思う。

次は、8月にヨーロッパ最高峰のエルブルースに挑戦する予定である。

エベレストを夢から目標に変えるためにも、

一つ一つの山をしっかり準備をして挑戦していきたいと思う。