手渡しの手
将棋を観戦していて、解説者が「この手は攻
めでも守りの手でもない手渡しの手ですね」
と解説する局面がある。素人目からみると攻
めでも守りでもない一手パスのような意味の
ない手にみえるが、その一手は重い。要は自
分から動くと形が悪くなるなら、相手に手を
渡して動いてもらおうということなのだろう。
その手渡しの手を羽生さんは、次のように述
べられている。
「将棋は、お互いに一手ずつ手を動かしてい
き、指していく。だから、自分が指した瞬間
には自分の力は消えて、他力になってしまう。
そうなったら、自分ではもうどうすることも
できない。相手の選択に「自由にしてくださ
い」と身を委ねることになる。そこで、その
他力を逆手にとる。つまり、できるだけ可能
性を広げて、自分にとってマイナスにならな
いようにうまく相手に手を渡すのだ。〜つま
り、手を渡すというのは、自分が思い描いて
いた構想とかプランをそのまま実現させるこ
とではなく、逆に相手に自由にやってもらい、
その力を使って、返し技をかけに行くことだ。
手を渡した瞬間は、「どうぞ、好きに次の手
を決めてください」と、諦めに似た感情であ
る。もちろん、諦めきってしまってはダメだ
が、そういうものが非常に大事な要素なのだ。
」(「決断力」P 37〜38)
美空ひばりさんの「人生将棋」という歌があ
るように、人の人生も将棋のようにいろんな
局面が現れる。私の人生の中で今は、手渡し
の手を指すべきではないかと思い、どのよう
な局面になるか待ってみた。何も考えず、き
た流れに自然に乗れるように待っていたら、
新たな局面が現れた。思いがけない巡り合わ
せから生まれた局面を大事にしていこうと思
う。