アリーキャット


はじめ、このポスターをみたときはおったま
げた。

窪塚洋介と降谷建志が映画で共演!!!

カリスマ × カリスマ!!!

たぶん、

今30代で昔ヤンチャだった人やオシャレ好
きだった人にはこの気持ちは少し分かって
もらえるはず。

学生の頃は、とにかくファッションの全てを
この二人からパクってたなぁ。

特に、KJが身につけているものが欲しくなる
病はなんだったのだろう?笑

今でもKJが履いてるエアマックスが欲しくな
るという。笑

生まれ変われるなら、KJになりたい。

夏バテ

今日は夏バテでダウンしたので、
(まだ梅雨バテ?)

映画を観てゆっくりすごした。

確か去年もこの時期に夏バテでダウンしてた
ような、、、(苦笑)

借りた映画
「奇蹟がくれた数式」
「イブ・サンローラン」
「気狂いピエロ」
「バケモノの子」

昼寝をしてしまったので、

まだ「奇蹟がくれた数式」しか観てないのだ
けども、主人公のラマヌジャンヌが素敵すぎ
て大感動!

アインシュタイン、ニュートン、オイラーと
並び称される宇宙人的大天才でありながら、
すごく人間味あふれる人だったのが素敵だっ
た。

貧困、差別、嫉妬、家族と妻との別れ、病
気、戦争などの逆境をはね返してきた彼に敬
服させれらた。

それも、彼の圧倒的な才能とそれを理解して
くれた良き師に出会えたことが全てだったの
ではないかと思う。

本当にこんな人がいたのかと思うような奇跡
的な人生だった。

いやー

ダウンした時にゆっくりと映画みるの好きな
ので、明日もゆっくりすごそう。

ゴダールを楽しみに。

真理の探求

最近、「考えていることは正しいのか?」、
「考えること
に意味があるのか?」、とモヤ
モヤすることが多くなったので
、物理学者の
大栗博司先生と仏教学者の佐
々木閑先生の対
談本を読んだ。


本のタイトルが「真理の探究」で、本の帯に
は「人生に生きる意味はない。」と書かれて
いるように、とにかく深い本だった。本書は
対談形式で、要所要所に両先生方の鋭い質問
が飛び交うので、科学と仏教のことにほぼ無
知な私でも読み倒すことができた。とてもじ
ゃないが、完全に理解できたとは言えない
が、モヤモヤしていたことがスッキリした。
そして何よりも、読めば読むほど驚きの連続
だった。この本がきっかけで、科学と仏教に
ついてもっと深く知りたいと思ったので、勉
強した上で再度読み直しながら理解を深めて
いきたいと思った。

下記、本で書かれていた内容の一部と個人的
な感想。

[「偏見や先入観というフィルターを取り外
し、できるかぎり正しく世界を見ることを通
じて、そういう道があることを確信させてく
れる。それが、物理学と仏教の共通点ではな
いかと私は思っています。」](p.19)

釈迦もアインシュタインも「正しく世界を見
たい」という思いが同じだった。

唯識と脳科学だの、マンダラと量子宇宙だ
の、つき合わせてみても意味がない。](p.23)

科学と仏教をつき合わせても意味がないこと
を前提にこの対談は成り立っている。

[ 宇宙に意味がなく、人間にはあらかじめ目
が与えられていないことを明らかにした ]
(p.33) 

宇宙と仏教の真理を追究してたどり着いた結
論が、「人生の目的はあらかじめ与えられて
いるものではなく、そもそも生きることに意
味はない」だった。

何も意味がないところから始まっているのだ
から、何を意味あるものとするか、幸福とす
るかは、自
分で決めるということ。(生まれ
て、ご飯食べて、死ぬだけで、十分)

私自身は、この考え方は受け入れられるのだ
ど、正直まだ何を意味あるものとして生き
たらいいのかわからない
状態だ。意味がない
ことをして生きても別にいいとも思ってい
る。家族、友人、将棋、山、景色、スポーツ、
本、音楽、映画、ご飯、コーヒー、ビールと
の時間を
幸福だと思っていることは確か。

[ 釈迦は大昔のあるとき、別の仏陀に会って、
「ああ私も、こんな人になりたい」と思った
です。](p.129)

釈迦でも憧れのロールモデルがいたことに驚
いた。(イメージ上の)憧れへの追究にも価
値があり、「憧れの人のようになりたい」と
思いながら生きることにも意味があるのでは
ないかと思った。(結果としてなれなくても)

[「科学の世界観は正しいかどうかが問題で
が、宗教のつくる世界観は、客観的真実で
あるかどうかよりも、自分の精神の支えにな
るかどうかが優先されるんです。](p.147)

今までの人生、都合よく価値観を変えていく
ことで、辛いことを辛くないにしてきたので、
この言葉が刺さった。

釈迦は、いかに「苦しい人生を苦しまないか」
を考えていたらしい。そのために、世の中を
正しくみようとしていた。

[ 私は科学者なので、あらかじめ、「これは
正しい」「あれは間違っている」と数条的に
信じることはありません。ではどう考えてい
るかと言うと、私はいわゆる「ベイジアン」
で、ベイス推定で信頼度を図ります。](p.15
3)

[「私は、物事は「正しい」と「正しくない」
の二択ではないと考えています。信頼度に
は、
「ほぼ確実に正しい」「正しそうだ」
「正しい
かもしれない」など、いくつものレ
ベルがあり
ます。これは要するに「正しさの
確率」の問題
ですね。](p.155)

本書を読んだ一番の動機は、考え方や価値観
正しさを科学的視点からつっこむとどうな
か?だったので、「なるほど!そういう見
方を
しているんだ!」と目からウロコだっ
た。(科学と仏教をつき合わせても意味がな
いという前提のもと)


0か100ではなくて、0〜100の確率的に考え
ながら、経験を通じて少しずつグレーを白に
していこうぐら
いの気持ちでいいのかと思っ
た。
々木先生が釈迦の教えによって苦から
救われる
と信じておられる度合いは、80%ぐ
らいとのこ
と。

最後に、この本を読んで。

人はいろんな「思い込み」に支配されている
んだなと思った。なぜか、この本を読んだあ
とは、力が抜けて、力がみなぎるような気が
した。

ピンチの時に笑う

個人的に好きな格闘家はレイ・セフォー。

彼はピンチの時にいつも笑う。
(彼が笑う時はピンチの合図なので、笑っ
た時は応援に熱が入る。)

特に、このマークハントとの真剣勝負でノ
ーガードの打ち合いの中、笑っていたのが
凄かった。(下の動画の12:50〜)

二人とも真剣勝負の、グッと力が入りそうな
場面での笑顔だから凄い。

強い人は、グッと力みそうなところで力まな
い。

セフォーのように笑うタイプの人もいれば、
ポーカーフェイスで表情にださない人もい
る。(表に出すタイプは損することもある)

力みそうなところで力を抜いて結果を出すの
は相当難しい。

発見した時の喜び

西は昔から、よく物を落とし、忘れ物が多い。

財布、カードケース、カギ、傘、携帯、音楽
プレイヤー、登頂写真、、、、、、

などなど、

さらに、よく水もこぼす。

いい加減な面倒臭がりで、注意力がないの
がいけないのだろう。

言い訳になるかもしれないが、

どうも、

何かを考えている時に注意力がなくなるよう
だ。

特に移動している時やカフェや電車で席に座
って深く考えごとをしている時に忘れ物が多
い。

定食屋で考えごとに集中しすぎて、お金を払
うのを忘れて外に出てしまい、あやうく警察
に捕まりそうになったこともある。

集中力が高まると、注意力がなくなるタイプ
のようだ。(と言いながらも、何も考えてな
い時でも忘れ物をしてしまう、、、、)

と、なぜ自分が忘れ物が多いのかを客観的に
みれている部分もあるので、今後忘れ物をし
ないように努めたいと思う。

しかし、

毎度、毎度、落とし物、忘れ物をしてしまっ
た時の失望感はたまらない。

いったい、何回同じミスを繰り返せばいいの
かと、自分に失望しながらも、

とにかく、落とし物、忘れ物を探す。

落し物、忘れ物を探している時は罪悪感しか
湧いてこない。

しかし、

たまに、というか、結構みつかる場合も多い。
(おそらく、西の運はここに消費されている
のだろう)

この、忘れ物を発見した時の幸福感ともいえ
る安堵感は本当にたまらない。

マイナスがゼロになっただけの物事なのに、
忘れ物を発見した時の喜びはなんなのだろう
か。

探している時の失望感はたまらないが、発見
した時の幸福感もたまらない。

この幸福感には2度と浸らないようにせねば
と、20年ぐらい前から思い続けている。