思考の出会い

ブログで考えごとを書くようになって、約1
年が経った。今まで、日記などを書くのが

の苦手で、(Facebookも苦手)三日以
上続
いたことがなかったけど、自然と楽しく続け
られている
。元々、著名人の名言集とか自伝
記を読んで他人の思考に触れるのが好きだ
し、(むしろ本が好き)
暇さえあれば将棋の
棋譜を自然と見てしまうので
、(強くはなら
ないけど)意外に体より頭を
動かすほうが性
に合っているのかもしれない
。(今まで使っ
てこなかった分の反動がおきてるだけかもし
れないが)

考えごとをしていて面白いのが、「思考の
会い」があること。なぜなら、
私が考えられ
るレベルの話は
、既に先人に考え尽くされて
いる
からである。しかも、圧倒的な深さで。
(まだ、あまり考えられていない領域もない
わけではないが)だから
私が考えることに
意味があるのかと
思ってしまうのだけど、考
えることによって「思考の出会い」をしてい
るんだと思うようになった
。毎回、新しい出
会いをさせてくれるグーグル先生には本当に
感謝である。

個人的に絶対的な思考はなく、経験値によっ
てものの見方も変わってくるので、思考は変
化していくものだと思っ
ている。今日言った
ことも、1年後には違うことを言っているか
もしれない。(変わらないかもしれないし、
明日変わる可能性もある)だから、5年、1
0年、20年後にこのブログを見返した時に、
「あの時はあんなことを考えていたんだ」と
思えるような記録簿的なものになればと思っ
ている。

そして、一年続けて痛感したのが、考えて書
くという作業は相当体力が奪われるというこ
と。だから、考えること
を仕事にしている人
ちの体力は本当に凄いと思う。私は体調さ
え良ければ、メリハリをつけながらも一日中
集中して考え続けてしまうのだけど
ふと気
づいた時にその反動でぐったりしてしまう。
(単にキャパの問題なのかもしれないが)一
日中集中した時の疲れはだいたい
翌々日ぐら
いまで残る場合が多い
。作家の村上春樹さん
が、毎日10キロ走って、マラソン
大会に出
続け、体調管理に気を使われているのも理解
できた。

あと、最近不思議に思うのが、考えごとをす
るとス
トレスが解消されること。特に自分な
りに考
えをまとめた時のスッキリ感はたまら
い。むしろ考えごとをするだけで1日が充
してしまうので、(答えがわからない問い
ぶつかっていても)このまま考えごとをす
だけで、人生が終わってしまうのではない
かと、
ゾッとする時がある。歴代最強棋士の
大山さんと羽生さんに、ストレス解消法が
「ない」というのもほんの僅かだけど理解で
きたような気がする。

私は飽き性なところがあるので、今はたまた
ま考えごとバブルが起きてるだけかもしれな
いが、 あまり気負わずに自然と考え続けて
いきたいと思う。新たな思考との出会いを楽
しみにして。

無価値で価値あるもの

コジオスコ遠征で、川端康成さんの「名人」
(囲碁の名人の晩年を描いた作品)を読んだ
時に強烈に印象に残ったシーンがある。

川端さんが、病に冒され命を削りながらも碁
を打ち続ける名人の姿を見て、直木三十五さ
んの「碁は無価値と言えば絶対無価値で、価
値と言えば絶対価値である」という言葉を思
い出すシーンだ。

あまりに強烈だったので、コジオスコを登っ
ている時も、この直木さんの言葉が頭から離
なかった。直木さんや川端さんのような方
々で
も、その答えに辿りつくんだという妙な
納得
感と安心感を感じた。(私には同じ目線
でその言葉の本質を理解することはでき

い、絶望的な距離感を感じなが
らも)

個人的な解釈では、直木さんの「無価値と言
えば絶対無価値で、価値と言えば絶対価値
ある」という言葉を言い換えるのなら、「

び」になるのではないかと思う。(あくまで
正否を問わない個人的な解釈で)

子供の頃、風邪で学校を休んだ時に、よくテ
レビゲームをしようとして親に怒られた。風
邪でも何でも自然とやりたくなるものが遊び
なのではないだろうか。囲碁の名人も命を削
りながら戦っていたというよりも、身体は病
気だけど、心身が自然と動いて囲碁を打って
いたのではないかと思う。

そして、自然と没頭できる遊びは上達してい
く可能性が高い。公園で野球をして遊んでい
た少年が、甲子
園に出場してヒーローにな
り、プロ野球選手
になっていくように、遊び
が相当上達すると、富と名声が絡むようにな
りだす。(没頭かつ適正が合うと)すると、
やるだけで足していた遊びが、富や名声を
得ないと満足
できない仕事へと変わる。仕事
になるということは、富と名声を得ないと価
値がないということになる。(という価値観
を持つ人が比較的多い)

川端さんも初めは、「富と名声を十分に得た
はずの名人が、なぜそこまでして碁を打ち

けるのか?」という問いから始まったの
では
ないかと思う。(あくまで推測)「名人とい
うプライドを
守るためか?」、「名人として
の使命
感なのか?」と考えたに違いない。そ
して、
辿りついたのが、直木さんの「碁は無
価値と言えば絶対無価値で、価値と言えば絶
対価値
である」という言葉だったのだ。

川端さん自身も、15歳になるまでに、祖父
母、父母、姉、全ての肉親を亡くして孤児と
して育ってきただけに、人一倍以上の死
に対
する思いがあったはずだ。だから、囲碁とい
う遊びに没頭しすぎるが為に命を
削っている
名人の姿に戸惑
を感じたに違いない。ゆえ
に、一芸に没頭して人生を注ぐ名人に共感と
尊敬を得たのであろう。